祭 神:應神天皇 素盞嗚命 底筒男命 中筒男命 表筒男命 説 明:和歌山県神社庁の説明を引用します。 「中秋の名月に例祭を行う、参拝者多し。 昭和7年刊『郷土誌』に河内神社祭は古座神社の渡御式ではないかとの説を記している。 江戸時代には若宮八幡又は八幡宮と称されていたが、大正の末期に正式に河内神社、住吉神社 を合祀し、名称を古座神社とした。 今でも土地の人は八幡さまと呼ぶ。 江戸の末期、古座大火で焼失したと伝えられているが、記録は残っていない。 祭典のあと昔の角力をしたなごりの角力の(型ばかりの)奉納がある。 これは青年2人(勇進会員)が、はだかにまわしをつけ仕切をし、行司(区長が行っている) が合せて組み合う。 そこで行司が割ってはいり〝この勝負預りでございます〟で終わる。 次に青年会の獅子舞が行われる。 通常の獅子舞のほか、子供(大ていは女の子)による〝てんぐ〟とよばれる舞が町民の楽しみ となっている。 夜間は境内にちょうちんを多数つるし、階段は本殿までちょうちんが両側につるされて美しい。 江戸時代天保年間(1830―44)に編纂された『紀伊続風土記』によると、現在の古座町古座は、 三前郡古座浦といっており、村名の由来を「村の西に神ノ川村あり、古座疑ふらくは神座の転 にて、これも又重山瀧姫神によりし名ならん」と記している。 また、村内に「小祠三社」と記し、「若宮、村中にあり若宮龍王社、社地方一町村端にあり社 方三尺 衣美須社社地周五間村中にあり社四尺に三尺があった」と記している。 若宮は若宮八幡または八幡宮とも称したが、大正4年、古座川川中の河内島にあった河内神社 を、大正9年、西向浦の住吉神社と若宮龍王社・衣美須社を合祀して古座神社と改称した (『和歌山県の地名』)。 『紀伊続風土記』に「黒島」が記され、「海口より未の方海中十一町にあり、回り六町余、島に 弁財天社あり、穴二あり、あかり穴 長五十間高サ四五間干塩には人往来す、暗かり穴、長凡 四十間高サ一間許といふ」と説明されている。 これは現在九龍島と称し、熊野水軍の根拠地であったといわれ、漁業の神として弁財天を祀っ た、九龍島神社という。 住 所:和歌山県東牟婁郡串本町古座347番地 電話番号: ひとこと:九龍島の写真を撮っていたら、地元の方らしき男性に声をかけられたので、尋ねてみたところ、 神社の例祭で獅子舞を舞い、次の日には九龍島に上陸し、ここでも獅子舞を舞うのだと教えて くださいました。 ご神体なのかもしれません。 和歌山の海は「黒潮」の名の通り少し暗いのですが、それでも青い(*^^*) 気持ちが解放されますね!