祭 神:中臣雷大臣命 水分神 天児屋根命 品陀別命 説 明:ご由緒書から引用します 「社名 栗原は『久里波良』と訓むべしとあり、明治以前一時期、「梶原宮」と称された。 (昭和五十四年十一月式内社調査報告より) 御由緒 当社の創建年代は不詳であるが、延喜五年(927)に完成した延喜式神名帳の河内 郡十座の一に名を連ね、その社叢は旧新開地の西南隅岸に位置し、以来実に千百十年 栗原連の氏神として歴史を重ねる古社である。 境内地約六百坪には本殿、幣殿、拝殿、手水舎、社務所に地車収納庫を有し、松杉檜 を始め、緒木繁茂し、深厳なる社の中に末社白菊稲荷神社、栗玉神社が祀られている」 住 所:大阪府東大阪市吉原2-293番地(旧堺縣河内國河内郡吉原村字北ノ宮) 電話番号: ひとこと:中臣雷大臣命は「なかとみいかつおみ」と読み、「烏賊津使主」とも表記されます。 神功皇后に仕えた人物ですが、滋賀県伊香郡鎮座の伊香具神社ご祭神・伊香津臣命と も同神でしょうね。 そこまではいいんですが、允恭天皇が衣通姫を召そうとしたとき、使者になった人物 なんですよね。 允恭天皇の皇后は衣通姫の姉である大中姫。 姉から、允恭天皇の噂話は聞かされてたと思います。 允恭天皇は、「体が弱いから、天皇みたいな重責は負えない」と逃げまくった人物。 皇后である大中姫が、酒を満たした盃を捧げ持ったまま凍る寸前まで動かなかったの を見て、「そこまでするなら即位するよ~」と……どちらかというと、渋々天皇にな った経緯があります。 そのくせ、天皇になると、美女の誉れ高かった衣通姫に懸想し、皇后に「妹を差し出 せ」と。 なんかもう、女の敵としか言いようがないタイプでございますねん。 体弱かったんちゃうんかい!!!!!!! ……まぁ、日本書紀には名医にかかって全快したとありますけど、この時代にあって、 簡単に全快するくらいの病気なら、「体が弱くて重責に耐えられない」ってことはな いんちゃうか、と。 どうにもこうにも……。 というわけでかどうかは知りませんが、衣通姫は天皇からのお召しを断り続けます。 日本書紀には「姉を傷つけたくない」という理由で断ったとありますから、それも本 心だとは思うんですけどね……。 でもそれ以上に、「こんな男はいやだ」と思ったと思うな~。 惹かれるところ、どっこにもないやん。 そこで烏賊津使主が遣わされるんですね。 烏賊津使主は、「あなたを連れていかねば処刑されます。殺されるくらいなら、ここ で死にます」と迷惑なことを言って、衣通姫の庭にうつぶせで寝転がります。 ……言うことを聞くまで動かないって、大中姫皇后と同じですが、皇后は跪いて重い 盃を捧げ持っていました。 烏賊津使主は寝転んでいたうえ、こっそり懐に隠してあった糒(非常食)を食べたっ ていうんですから、姑息このうえないわ!!! さすがあの天皇の忠臣やなっ!! ……ってことで、あんまり好きになれない人物なのでした(^^ゞ とはいえ、東大阪は、本当に天児屋根命や中臣氏の気配が濃い場所です。 なんかこう、ブレてない感じがするんだなぁ。