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祭 神:彦火火出見命 説 明:舩井神社の由緒を転載します。 「腕守社(かいなもりしゃ) ―鳥居西(左)側の祠 腕守社には前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任の腕を祀っている。 奥の五輪塔は「腕」(かいな)守」と呼ばれ、貞任の腕が埋まっているという。貞任の魂が、自分の体を元に戻そう とすると、青い尾を引いた人魂(ひとだま)が東の方へ飛んでいくという。腕の痛みに効くとされ、昔は農作業で腕 を痛めた人が、よくお参りに来ていたという。 源氏の勢力が強かった船井郡には怨霊鎮魂を目的としたいくつかの貞任の身体を祀る場所がある。丹波の山並みを 縫うようにして、ゆったりと流れる桂川。その中流辺り、京都市右京区京北から南丹市八木町にかけて、桂川の流 れに沿うように、はるか奥州の地の豪族、安倍貞任(あべのさだとう)(一〇一九?~~六二)にまつわる伝説が残って いる。 平安時代後期、朝廷は、自分たちから独立した勢力を持っていた奥州の豪族・安倍氏の征討を源義らに命じた。 十一年間に及ぶ戦い「前九年の役」(一〇五一~六二)の末、一族の長だった安倍貞は「厨川(くりやがわ)の戦い」 で戦死し、安倍氏は滅亡した。 貞任の亡きがらは朝廷に送られ、都の陰陽師の進言により「東西南北に川のある 地」である「有頭(うつ)の地」(現・京都市右京区京北下宇津)に埋められた。しかし翌朝、日の出とともに貞任 は生き返り、たたりをなした。そこで体を二分、三分としたが、やはり生き返る。最後は、体を七つ分けて埋め、 下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやくたたりは静まったという。「亡きがらを七つに切ったところが「切畑」、 首を埋めたのが「貞任峠」。ほかにも、両肩と胴体は「高谷」、腰と両足は「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋 めた「足手谷」など、下宇津周辺には貞任伝にまつわる地名が残る。中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は歯痛 封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めていた。下宇津から桂川を下ること約二十キロ。南丹市 八木町にはここ舩井神社のほかにも、頭を埋めた久留守(くるす) 神社」(同町刑部)は頭痛に効く、などの伝承 がある」 住 所:京都府南丹市八木町刑部宮ノ本3 電話番号: ひとこと:久留守神社のご由緒じたいは、どこにもないので、よくわかりませんが、「くるす」という名前から、また南丹 という土地柄から、隠れキリシタンと関係があるかもしれません。 私は、阿部貞任の頭が埋められたという伝承を知って、ここにお参りしました。