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草部吉見神社

kusabeyoshimi






  祭  神:一の宮 日子八井命 神武天皇第一皇子にして、草部吉見神、または国龍命とも別称す。阿蘇神社に
           三の宮として合祠。
       二の宮 日子八井命の妃
       三の宮 天彦命 日子八井命の第一皇子・三郎神社の祭神
       四の宮 天比咩命 天彦命の妃・三郎神社の祭神
       五の宮 阿蘇都彦命 日子八井命の甥・阿蘇大神建磐龍命
       六の宮 阿蘇都比咩命 日子八井命の女にして、阿蘇大神の妃
       七の宮 新彦命 日子八井命の第二皇子
       八の宮 彌比咩命 新彦命の妃
       九の宮 速瓶玉命 日子八井命の外孫・阿蘇大神の嫡子
       十の宮 若彦命 新彦命の甥・天彦命の御子
       十一の宮 新比咩命 新彦命の女
       十二の宮 日子八井命の外曽孫・速瓶玉命の男
  説  明:境内案内板から引用します
      「当社は、熊本県阿蘇郡高森町宮原に鎮座し、旧社格は郷社。
       主祭神は日子八井耳命で、ほか建磐龍命、阿蘇都比咩命など十二神を併せまつる。
       日子八井命は、神武天皇の六十九年、東征の時、日向高千穂より草部に入られ、しばらく川走の窟に
       住まわれたのち、今の草部吉見神社の所にあった池を干し、宮居を定められた。このとき襲ってきた
       大蛇を斬られ、焼かれた。
       大蛇が血を流しながら逃げていった所を血引原(現地引原)、焼かれた処を灰原と言い、今もこの地
       名が残っている。
       創建は阿蘇神社に先立つこと六年と言われる。
       宮居を定められたその翌年、健磐龍命(神八井命の御子・阿蘇大神とも言う)が下向して来られると
       迎え、請われて比咩を健磐龍命の妃になされた。この比咩が阿蘇都比咩命であり、日子八井命は健磐
       龍命と力を併せ、内には九州鎮護、外には東征という朝廷の国土統一事業の一翼を担われた。」
  住  所:熊本県阿蘇郡高森町宮原
  電話番号:
  ひとこと:神武天皇の皇子やその親族が祀られているんですが、なぜか鳥居を入るとすぐに下り階段があります。
       鳥居から神殿を見下ろすことになるんですよね。
       
       大蛇を退治したという、素盞嗚尊を思わせる伝説と、何か関係があるのでしょうか?

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