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祭 神:日本武尊 素盞鳴尊 宇迦之御魂神 説 明:境内案内板から引用します 「松原神社社誌 一、祭神 日本武尊、相殿、素盞鳴尊、宇迦之御魂神 一、由緒 縁由及び創祀の記録は灰燼に帰して詳かではないが、古老の口碑に依れば近衛天皇久安年間の勧請な りと云はれている。 後醍醐天皇の頃当所に真鶴が棲み、故に鶴の森明神と称したと云う。 後奈良天皇天文年間に山王原村松原の海中より十一面観音が出現、その託宣に依り当社の本地佛とし て祀ったことから神号を松原大明神と称したと云う。 明応四年北条氏の小田原を治めるに当り当社への尊崇頗る厚く鎮守として社領一万石を寄せ氏綱、氏 康等大事毎に必ず祈願した。 天正十八年北条氏廃滅後、後水尾天皇寬永九年稲葉氏の領となっても亦、鎮守として崇祀し社費は悉 く藩財を以て之に当てた。 霊元天皇貞享三年旧領主大久保氏が封を再び此の地に受けた事に依り猶先規に従い鎮守として崇敬前 代に劣らず代々小田原の宿十九町の総鎮守とした。 明治二年松原神社と改称し、明治六年一月旧足柄懸に於いて懸社と定められ、明治四十年四月二日神 饌弊帛料供進神社に指定された。 一、例祭 五月三日、四日、五日」 「吉兆の大亀 天文十四年(一五四五年)三月、小田原の海岸に現れた大亀を土地の者が当社の他に持参したところ、 小田原北条三代当主氏康は、これを聞き、吉兆なりとて参詣し舞を奉納した。 果たして翌天文十五年、関東管領上杉軍八万の兵を、わずか八千の兵で見事に破り【河越夜戦】、念 願の関八州の平定に成功した。 この石像亀はその話に由来して作られた(制作年不明・頭部欠損)ものと思われ、現在でも大亀の甲羅 を撫でると、社運隆昌・心願成就・開運・勝利(転じて試験合格)にご利益があるとされております。 また、亀は長寿を象徴する生き物であることから、 賽銭を十円納めると十日、百円納めると百日、千 円納めると千日寿命が延びると言われております。」 住 所:神奈川県小田原市本町2‐10‐1 電話番号: ひとこと:小田原の北条氏は、鎌倉幕府で執権をつとめた北条氏とはまったく無関係であり、始祖の北条早雲は、 関西のあたりの出身だとされています。 この神社は小田原城にも近く、お城の鎮護も担っていたのでしょうね。