祭 神:品陀和氣尊 足仲津彦尊 息長足媛尊 説 明:境内案内板を転載します。 「当社は約一千百有余年の昔、人皇第五十一代平城天皇の第三皇子高岳(たかおか)親王が創建されたと 伝えられている。 高岳親王は幼くして皇太子に即位され、次の天皇が約束されていた尊貴の人であられた。 しかし、大同年間、薬子の乱(810年)が起こり、親王は追われる身となった。やがて仏門に入り、 弘法大師空海に師事、諸国を行脚し、人心の救済と求道一筋の道を歩んだ。 貞観三年(861年)三月、南海道に向かい海路をもって仁淀川の川口に至り、更にさかのぼり、高岡 の地に上陸の第一歩をしるしたという。(日本三代実録) 清瀧寺に逗留修業すること暫し、感ずるところあり、京都の産土神石清水八幡宮をこの八幡の聖地に勧 請鎮斎したという。この社が松尾八幡宮である。 社領八町八反を賜り古来高東近郷の総鎮守たり。 随身池田琢雲をして初代神主にあたらしめたという。 一方、親王はその後、畢生の悲願であった入唐を果たし、当時、世界最大と言われた国際都市長安の都 (現・中国 北京市)に留学。更に学究の志は高く、仏果の成就を求め、遥かなる仏陀の母国、インドに 向かう。 元慶五年(881年)在唐の留学僧の報告によれば、親王七十八歳の時、羅越国(ラオス)付近で薨去 されたという。 ああ!!かかる壮挙は日本史上最初の人であったと伝えられている」 住 所:高知県土佐市高岡丁2208 電話番号: ひとこと:「松尾」といえば、秦氏との深いかかわりを思わせますが、さらに「八幡」。 製鉄関係かな~……と思って、立ち寄った神社です。 平城天皇の皇子であった高岳親王が、高知までいらっしゃってたとは知りませんでした。 苦労された方のようですが、そんな皇子がなぜこの地に、製鉄にゆかり深いと思われる神社を建立され たのか……。 さっぱりわかりません(^^ゞ でも、何かありそうなので、備忘録的に。