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三嶋大社

mishimataisha




  祭  神:大山祇命 積羽八重事代主神
  説  明:略史を転記します。
      「祭神
       大山祇命、積羽八重事代主神の二柱を奉斎し、三嶋大神と奉称している。
       大山祇命は、伊奘諾尊の御子神であり、山の神で林業、農産を始め殖産の神、
       衣食住の守護神であり、富士山の木花開耶姫命の御父神でもある。
       積羽八重事代主紙は、俗に恵比須様とも称えられ、魚漁航海の神、又商売繁盛
       の神としても崇められている。出雲の大国主命の御子神である。
       三嶋大神とは、御島の神の謂であり、上代富士火山帯に属する伊豆諸島地区の
       噴火、造島が盛んに行われ、これを神業としたことは、国史以下にしばしばそ
       の記事を見ることができる。
       祭祀の系譜
       三嶋大社の祭祀は、伊豆国造若建命より、累代矢田部氏が主催して、第七十代
       現宮司に至る。
       矢田部氏はその源を遠く物部連の祖、天御鉾命に発し、第九代若建命、第十九
       代日下部直益人が伊豆国造に任ぜられた。
      〔先代旧事本紀・国造本紀〕
       伊豆国造・神功皇后の御代、物部連の祖、天御鉾命八世の孫、若建命を国造に
       定め賜ふ。難波朝の御代、駿河国に隷す、飛鳥朝分置故の如し。
      〔続日本紀〕
       天平十四年(742)夏四月、外位従五位下日下部直益人、伊豆国造、伊豆直
       の姓を賜ふ。
       とあり、国造は専らその国の神を祭祀し、兼ねて民事を治める職掌であって、
       矢田部氏の先祖は遠く200年代の始めには既に、三嶋大社の祭祀を主宰し、
       第二十二代古麿が伊豆姓を名乗り、其の後国衙の小領、大領などの官人として
       祭祀に関わり、第三十代貫盛に至って三嶋神主となり祭祀を専らとし、康和五
       年(1103)第三十三代神主伊豆国盛の三嶋宮司輔任の廳宣も現存する。
       其の後、元禄元年中(1688〜1703)第五十一代盛直が、矢田部姓に改
       めて今日に至った。
       由緒
       此の地に御鎮座の時代は明らかではないが、祭神の項でも述べた如く、伊豆は
       富士火山帯に属し、奈良・平安朝にかけての盛んな火山活動は、三嶋大社に対
       する朝野の信仰を高めたことは、古史に顕著である(後略)」
  住  所:静岡県三島市大宮町2−1−5
  電話番号:055−975−4476
  ひとこと:愛知県は大三島にある大山祇神社の御祭神は、その名の通り、大山祇命。
       大阪府にある、三島鴨神社の御祭神は、大山祇神と事代主神。

       三嶋つながりなわけですね。
       で、「三嶋」とは、「御島」である、と。

       また、伊豆は、加茂氏の一員である役行者が配流になった場所。
      「鴨」との繋がりも気になるところです。

       しかし、なぜ島の神が「山祇」の神様なんでしょうね?

       確かに、島は海底火山の噴火でできる場合もあるから、山と島は無関係ではな
       いんですけどね。
       島の神様ならば、「島だけの神様」が存在しても良いんじゃないかと思うわけ
       なんですよね。

       山の神様だって、山のことだけで十分忙しいと思いません??

       島の神様ということですぐに思い出すのは、厳島の神様、市杵島姫の神様だと
       思うんですが、
       この女神は、「島に斎く神」。
       つまり、島を祭祀する神様であって、この女神自体が「島の神様」ではないと
       思うわけです。

       皆さん、「島」で何をイメージしますか?
       現代はともかく、島というのは、遠い辺境の地だったでしょう。

       そこに住んでいるのは?

       ・・・常ならぬ人を想像すると思うわけです。

       御伽草子にある「御曹司島渡」で、御曹司・・つまり、源義経公が渡るのは、

       こんろが島、大手島、ねこ島、いぬ島、まつ島、うし人島、おかの島、とら島
       かぶと島、たけ島、もろが島、ゆみ島、鬼界が島、蛭が島。

       そして、馬人島、はだか島、女護の島、菩薩島、蝦夷が島を経て、目的地の千
       島に到着するわけですね。

       名を見たらわかるとおり、その島に住むのは、普通の人間ではありません。

       それはなぜかというと、島が簡単には渡れない「辺境の地」であるということ
       もあるでしょうが、もうひとつ、島は、「罪人が流される場所」であったとい
       うこともあるでしょう。

       推古天皇の時代に、すでに、病人を島へ置き去りにしようとした記事が見えま
       す。

       そのことと、島の不便な生活の中で、人が恐ろしげな形相になってしまい、そ
       のことが「鬼」を連想させたかもしれません。

       例えば、百合若大臣の話しをご存知でしょうか?

      「お話宝玉選」という物語集の中にある話しですが、どうやら九州豊後に残る伝
       承のようです。
       時代は平安時代。

       百合若大臣は新羅との戦に旅立つのですが、その帰りに玄界島に立ち寄ります。
       しかし・・・百合若大臣の部下に、腹黒い、別府という兄弟がおりました。
       この兄弟は、百合若大臣を島に一人残して、豊後に帰ってしまうんです。

       百合若大臣は死にませんでした。
       失意の中で生き延びました。
       
       さて、別府兄弟の目的は、百合若大臣の国司としての地位と、その妻である春
       日姫でした。

       地位はすぐに手に入りました。
       しかし、春日姫の心を手にすることはできません。
       焦燥の日々が続き、兄弟はとうとう姫を幽閉してしまいます。

       そんなとき、島に住む百合若大臣のもとに、懐かしい客が訪れていました。
       愛鷹の緑丸です。
       この賢い鳥のおかげで、百合若大臣は春日姫に手紙を届けることができました。
       春日姫は夫が生きていることを知って大喜び・・・はいいんですが、百合若か
       らの手紙が血文字だったため、姫は硯と筆を鷹に預けちゃうんですよね。

       いくら力強い鷹でもさ・・・。硯はちょっと重荷だわさ(T_T)

       ってことで、鷹さんは力尽きて死んでしまうんです。
       このくだり、なんの意味があるんでしょ?
       物語に、緑丸を殺す必然性はまったくっ!!ないと思うんですけどね・・・。

       そしてその後、百合若大臣は、緑丸の活躍とはまったく関係なく漂流船に助け
       られます。

       その時、百合若大臣は、日に焼け、髪はぼうぼうに伸び、その姿は鬼のようで
       ありましたから、誰も彼が百合若大臣とは気づきません。

       チャ〜ンス!ってことで、百合若大臣は別府兄弟の家にもぐり込むんですね。
       さて、正月七日は、弓初めの祭りの日でした。

       別府兄弟はたわむれに百合若大臣に弓を引かせます。
       ばかですね〜。

       これまたチャ〜ンス!!
       と、強い弓を手にした百合若大臣はその矢を別府兄弟に向け・・・。
       まんまと復讐をとげたのでした。

       そして、春日姫を助け出し、めでたしめでたし。

       ちなみに、いろいろなパターンがあって、
       別府兄弟に、「春日姫を殺せ!」と命じられた、正直な男が、春日姫の代わり
       に自分の娘、「万寿姫」を池に身投げさせたという話しもあるようですが、私
       が読んだ本には・・・確かなかったと思うです。

       私は、百合若大臣は、まさに、「貴人が鬼に化けた話し」だと思うのですが、
       いかがでしょうか?

       島とはそういう世界なんでしょう。

       ですから、「島を作る神」としての大山祇の神は、「島を鎮める神」でもあっ
       たのかもしれませんね。

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