祭 神:伊邪那岐神 伊邪那美神 稚武彦命 説 明:桃太郎史跡にあった由緒書を転載します 「この神社は、香西記・全讃史・讃州府志等によると熊野権現が悪行を働く鬼の害を除き鬼無(お にな)しになった。 そこで祠を立て奉斎し、遂に地名の由来となった。 また、その地名と鬼塚などの遺跡に加え、恵まれた風土は、昭和初期、橋本仙太郎氏により桃太 郎伝説として大系づけられた。 社名は熊野神社であるが、昭和二十八年宗教法人となり、同六十三年御祭神を増祀、愛称を熊野 権現桃太郎神社として神社本庁の承認を得た。 祭神 伊邪那岐神・伊邪那美神・稚武彦命 境内社 金刀比羅宮・天満宮・社稷五大神 桃太郎遺跡 (境内)左堂神、犬、猿、雉の墓 (境外)鬼塚(東方約三〇〇M) 御神徳 子供守護・万物創造・除災招福 寄贈 高松西ライオンズクラブ」 住 所:香川県高松市鬼無町鬼無848 電話番号: ひとこと:桃太郎といえば、吉備の吉備津彦がモデルとされますが、讃岐にも桃太郎伝説があります。 桃太郎のモデルは、吉備津彦の弟、稚武彦と言いますから、吉備國の桃太郎伝説を意識しているの でしょう。 讃岐には、吉備津彦と稚武彦の姉にあたる倭迹迹日百襲姫がうつろ船で流れて来たという伝説もあ りますから、孝霊天皇の御子たちと深い関係がある土地といえるでしょう。 鬼ヶ島とされる女木島は、1900年代に洞窟が発見されてからそう言われるようになったようです。 橋本仙太郎氏は、桃太郎伝説と関わる史跡を探し回り、女木島に大洞窟を見つけました。 でも、ただの後付けとも言い切れません。なぜなら、洞窟は人工の跡があり、為政者から鬼と呼ば れた人たちが住んでいた可能性は、十分あるからです。 それに、大洞窟では、私にとっては気になる発見がありました。 案内のおじさんによれば、桃太郎のモデル香川説の根拠となった『桃太郎伝説鬼退治の話』の脚色 をしたのが、886年から讃岐國司の任に着いていた、菅原道真だというのです。 ……まぁ、『桃太郎伝説鬼退治の話』なる書物が残っているわけではなく、讃岐に関係のあるVIP が関わったことにされただけの可能性も十分ありますが(笑) 桃太郎神社の周囲には、「おばあさんの洗濯場」「鬼ケ塚」などがありますが、それもどれだけ歴 史を遡れるかはわかりません。 鬼ケ塚には、案内がありましたので、転載しておきます。 「鬼ヶ島の戦いで桃太郎に負けた鬼たちは、この地のセリ塚でもう一度戦をして、また負けてしまい ました。 その鬼たちをほうむり、供養したのが鬼ケ塚です。 平和になったこの地は、鬼無の里と呼ばれるようになりました。 平成十二年八月 鬼ケ塚保存会」 確かにこんもりとした塚ですし、古墳だった可能性はありそうに思います。 稚武彦もフックが多い人物ですしね。 古事記では若日子建吉備津日子命。キビツヒコと呼ばれてます。 しかもワカタケルは雄略天皇の名前じゃないですか。 讃岐という土地も、いろいろ興味深いと感じます。