祭 神:多遲摩母呂須玖神 説 明:境内案内板を転載します 「多遲摩母呂須玖神は、新羅国王子天日槍命の嫡子で、母は多遲摩之俣尾の女、前津見である。古事記・日 本書紀に記される清彦・田道間守の祖で、神功皇后の母、葛城高額比賣の祖である。 創立年月は不詳であるが、延喜式内の古社で、始め出石川側の出石町水上に鎮座していたが、当国の守護 山名氏が居城を出石町宮内の比隈山より出石有子に移すに及び、当社を城下の現在地に移転されたという。 累代の出石城主の尊崇厚く、江戸時代小出大和守は長刀を奉献し、松平忠徳は社殿を改造し、宝駕を具え 華表を建て、治した瑞泉寺主釋大梅に諸杉大明神記を撰ばしめた。寛保二年仙石政辰は社殿を改築し、神 供料五石八斗を寄進し、宝暦二年神霊を勧進し且つ同僚諸侯及び有名な宗匠に俳句をもおt目、扁額とし て拝殿に奉納された。仙石氏が出石城主のとき、在城の年は年首必ず自ら参拝し、参勤交代の時は帰城の 年早々必ず自ら参拝された。明治六年十月郷社に列せられたが、明治九年三月二十六日夜、民家より失火 し、社殿は悉く類焼した。これにより明治十五年新たに工事を起こし、明治十七年十月十四日に現在の本 殿、拝殿が竣工した。大正十三年四月二十一日縣社に列せられる」 住 所:兵庫県豊岡市出石町内町28 電話番号: ひとこと:多遲摩母呂須玖神を祀る神社に参拝したのは、多分初めてだったかと。 どのような神なのか事績がわからないのですが、出石城主はとても重要視したとのこと。 日本海側は、文化が少し違うような感じがしますね。