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室城神社

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  祭  神:邇邇藝命 須佐之男命 大雀皇子命 迦具土命
  説  明:境内案内板を転記します。
      「口碑によれば、今を去る約一二五〇年昔の聖武天皇の神亀年間
       近国に大洪水あり。民飢え勅して天神地祇をこの地に奉祀せし
       め給うた。同天皇の御世悪疫流行あり。当社にその退散を御祈
       願弓矢を御献奉あらせられた。今に伝わる当社の春祭はこの勅
       願が起源といわれ、弓矢を像った特殊神饌が供献される。
       その後、南北朝の兵戦により神事は一時中断した。
       今から約三五〇年以前の寛永七年木津川の堤切れにより当社の
       壮大な社殿は諸記録と共に流出した。その後再建された社殿は
       規模が縮小され今なお仮殿であるといい伝えられている。
       明治六年村社に列格、同十年延喜式内社(今を去ること一〇七
       四年昔の延喜五年の勅命により編纂された延喜式に神社名が記
       載され当時官幣または国幣にあずかった神社)と決定された。」
  住  所:京都府久世郡久御山町大字下津屋小字室ノ城98−1
  電話番号:
  ひとこと:看板が古かったので、ところどころ見えづらいです。
       実は、御祭神も、迦具土の神の最後の二文字がよく見えません。
      「迦具土命」でなかったら・・・。
       迦具夜姫?かも??とも思うのですが、とりあえず、迦具土神
       とし、はっきりしたら、そのこと追記します。

       さて、この神社で、私がちょっと気になったのは、
      「○城」という神社名なんです。

       古代、この神社にお城があったわけではないでしょう。
      「城」とはどういう意味なのでしょう?

       私達はどうしても、「お城」というと、「王様の御殿」をイメー
       ジしてしまうかもしれません。
       もしくは、「殿様の御殿」。

       でも、本当に「御殿」なんでしょうか?

      「稲城」と言う言葉がありますね。
       狭穂彦が、垂仁天皇と戦をした時、稲を積み上げて作った「城」
       ですね。
       また、物部守屋公も、現在の八尾のあたりに、「稲城を三基」築
       いたとされています。

       つまり、「城」とは、「居住場所」というよりも「砦」?

       ということで、三省堂の漢辞海で「城」をひいてみましょう。

      「城
       ・都市の周りに防御のために高大に築いた壁
       ・都市。町。
       ・国」

       どうです?
       私達がイメージする「城」と、そもそも「城」という漢字が持つ
       意味は、かなり違うようですね?

       では、漢字の意味ではなく、「城」という言葉の意味はどうでし
       ょうか?

       同じく三省堂の大辞林で「城」をひいてみましょう。

      「城
       外敵の侵入を防ぐために設けられた建築物。
       日本では、古代国家統一後の朝鮮式山城、奥州経営のための柵な
       どの造営の後、中世には、平野部の耕作地帯に設けた堀・土塁を
       巡らした方形館や天剣に拠った山城などが現れた。戦国末期に至
       り、軍事規模の増大と戦術形態の変化によって、山地から平野に
       築城が移り始め、安土桃山時代には、政治・経済的要求から、特
       に大名の拠点となるものは城下町をもつ大規模なものに発展した。
       この間に施設も永久化し、巨大な石垣や漆喰壁・瓦屋根が使用さ
       れるようになり、本丸に天守を設け、水堀を巡らせた平山城・平
       城が主流となった。
       今日まで遺構のある城の多くはこの時代のものである。江戸時代
       に至り、新規築城は制限され、城郭の発展は停止した。」

       私達が、一般的に思い浮かべる「城」。
       ・・・例えば、大阪城・姫路城・熊本城・・・などは、安土桃山
       時代以降のものなわけですよね。

       去年あたりから、山城の遺構巡りにすこ〜しハマッてますが、は
       っきり言って、城に対する見方が変わります(笑)
       機能的なんですよ。

       堀の形ひとつとっても、いろいろな形態があります・・・が、こ
       こ、「室城」は、もっと古い「城」でしょう。

       そもそもの「城」の意味である、
      「都市・町・国」の意味ではなかったでしょうか?

       では、「室」は?

       やっぱり、三省堂の「漢辞海」でしょう。

      「室
       ・奥向きのへや。
       ・いえ(家屋・建物・世帯)。
       ・家族。一族。
       ・家財。家庭の財産。
       ・妻。
       ・墓。墓穴。
       ・刀剣の鞘
       ・星座名。二十八宿のひとつ。室宿。営室。
       ・姓。」

       つまり、一族の何か、を意味する言葉、と考えて良いかと思いま
       す。

       そのまま単純に考えたら、
      「室城」とは、「一族の国」。

       ・・・もちろん、そんな単純なもんじゃないですよ(笑)

       が、なんというか、ここに強固な一族の集落があったような印象
       を受けるのは否めません。

       そこで、もう一度、御祭神の顔ぶれを見て見ましょう。

       邇邇藝命・須佐之男命・大雀皇子命・迦具土命

       大洪水と悪疫流行が神社創建の由縁ということですから、須佐之
       男命が祀られているのは、それが原因かもしれません。
       須佐之男命は、八股大蛇退治をしています。
       八俣大蛇の正体が何であるかは、諸説ありますが、河川の氾濫を
       大蛇に見立てたという説がありますから、治水の神として須佐之
       男命を崇敬するのはわかります。

       また、須佐之男命は、武塔天神と同一視され、厄病除けの神とし
       て崇拝されていますよね。

       大雀皇子命は仁徳天皇のこと。
       仁徳天皇は茨田の堤を造営するなど、治水に力を尽くした天皇で
       した。

       治水を祈るのには、ぴったりな神様ですよね。

       しかし、邇邇藝命と迦具土神については、治水・悪疫除けに関す
       る事蹟は思いつきません。

       邇邇藝命はこの地を最初(本当は饒速日尊の方が・・・他にも、
       他にも素盞鳴命の方が早いけど)に治めた天神とされていますか
       ら、万能の神と見ることもできるかもしれませんが。

       しかし、邇邇藝命と迦具土命に共通する「イメージ」があります。

       それは、
      「火」「難産」でしょうか。

       迦具土神は、別名「火之迦具土神」と呼ばれるように、そのまま
       火の神様です。
       彼を生んだ為に、母である伊邪那美神は、陰部に火傷を負い、命
       を落としました。

       そして、邇邇藝神に関しては、妻である此花開耶姫が、火の中で
       出産したことを思い出します。
       難産ではなく、順調に生れましたが、火中の出産のイメージは、
      「楽な出産」ではありえないでしょう。 

       偶然かもしれませんが・・・。

       つまり、その事が、この「室城」に、「この町に居住する一族」
       に関係の深い事柄ではなかったか、などと想像します。

       火中で出産するとはどういう意味があるんでしょうね?

       記紀神話を見ていると、出産と火が関係している女性は、他にも、
       狭穂姫がいます。

       あぁ、そうそう。稲城を築いた狭穂彦の妹ですね。

       火中で出産するという意味。

       そもそも日本では、「妊婦が火事を見ると良くない」などと言わ
       れ、妊婦に火はタブーなんじゃないでしょうか。

       それが、わざわざ火の中で出産するとは・・・どういう意味があ
       るのかと思います。

       陰陽五行では、火は大陽。
       陽が極まってるわけです。
       ・・・あとは、衰退するしかないのが、「火」です。
       その中で出産する・・・なんか不吉だ・・・。

       顧みると、火中で出産した女性達は、その配偶者に対して、良い
       関係を保てなかったことが見て取れますよね。

       伊邪那美神は、夫である伊邪那岐神と天下の喧嘩別れをしますし。
       此花開耶姫は邇邇藝命に不貞を疑われて、その汚名を晴らすため
       に、火中で出産しています。
       狭穂姫は、夫・垂仁天皇に、兄・狭穂彦を許してもらえなかった
       ため、火中で自殺することになります。

       つまり、火中で出産した女性達は、
      「これから生れる子供達の子孫が衰退しますように」
       という呪いを篭めて、子供を生んだのかも・・・。

       いやいやいやいや。
       世の母上たちは、
      「自分の子供が不幸になることを祈る母親なんかいない」
       とおっしゃるでしょう。
       勿論そうです。
       勿論そうですが・・・。

       結婚も出産も、政略的に行われた時代。
       それだけでもなかった可能性は、ないとはいえないでしょう?

       この御祭神は、男性ばかり。
      「呪いをかけられた側」
       ばかりなのですね。

       この室城に居住した一族が、呪いをかけれた一族だとは思いませ
       ん。

       むしろ、その呪いを解く力のあった部族なのではないか、と思う
       のですが・・・いかがでしょうか?

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