祭 神:櫛眞智命 大己貴命 少彦名命 (配祀)日本武尊 押武金日命 説 明:平成「祭」データから由緒を引用します。 「神社創立は今より二〇六〇余年前、人皇第一〇代崇神天皇七年と伝えられ同第一二代景行天皇の 御代日本武尊御東征のおり、御岳山頂に武具を蔵した為、武蔵の国号が起ったといわれています。 後、第四四代聖武天皇の天平八年(西暦七三六年)僧行基が勅命を奉じて東国へ下り、東国鎮護 の為、蔵王権現の像を彫刻して、これを安置したと社伝に記されています。その後、幾多の兵乱 の為荒廃しましたが、文暦元年(一二三四年)大中臣国兼が、御嶽権現の霊夢により、御岳山に 登り改めて蔵王権現を鋳造奉載し神殿を再興して御神徳の発揚に努力し、元の如く繁栄致しまし た。 以来、御嶽山蔵王大権現と称し、修験の霊場として歴代の天朝の崇敬が厚く武家政治の世になっ ても鎌倉、室町、江戸時代の幕府および諸将の崇敬すこぶる厚く、神地、神戸、朱黒印の社領、 御神宝等の奉納、寄進が数多くあり社殿の造営修繕等は、ことごとく公営で執行され、江戸時代 になっても慶長一〇年(一六〇五年)大久保石見守長安を普請奉行として本社以下が造営され、 江戸城鎮護の御社と定められました。一時延喜式神明帳に見られる大麻止乃豆乃天神社と称した こともありますが、明治七年神仏分離の折社号が御嶽神社と改められ、更に武蔵御嶽神社と改め 現在に至っております。 日ノ出祭・この祭は鎌倉期からはじまったといわれ、かつては夜明と共に神幸祭をしたところか ら日ノ出祭の名がついています。御岳平に仮設した祭場に、神官や白丁(神幸に携わる人)武者・ 講中の人々・信者等が集まり修祓をしたのち、神官を先頭に、御岳平から神社までの道程(1㎞ 余り)を、螺貝・金棒・御神旗・楽人・獅子頭・榊・太鼓・鎧武者・鉾などがつづき、それに講 中や信者らが後に参加して長い行列となり、新緑の山道に古式ゆかしい鎌倉絵巻を再現します。 白丁は白装束に黒烏帽子・小さな鐘をつけた襷姿、武者は重さ20㎏程もある鎧や兜に身をつつ み弓・槍・太刀などを持った出立で列に加わります。神社に着くと拝殿で式典があり、拝殿前に 置かれた御輿に御霊をうつし神官が社宝を持って再び列を作り、社殿の回りを3周します。これ は農村などの信仰の厚い当社の五穀豊穣・家内安全を祈って行なわれるお祭です」 住 所:東京都青梅市御嶽山176 電話番号: ひとこと:大河「鎌倉殿の13人」で、畠山重忠が最期の戦いで着ていた鎧が、あんまりにも綺羅綺羅しくて、 フィクションだと思ったんです。 で、「畠山重忠 鎧」で検索したら、畠山重忠がこの神社に奉納した「赤絲威大鎧」がヒットし たというわけ。 しかも宝物殿で拝観可能。 しかもしかも、10月からしばらく展示されなくなるとのこと……。 正直に言いますと、枯れ線の私にとって中川大志くんは「華のある役者さんだな」くらいの思い 入れしかありませんでした。 畠山重忠より、「真田丸」で、秀頼役の彼が登場した途端、多くの視聴者が「今年は大阪が勝つ んじゃ?」ってつぶやいたのが印象深かった。そういう説得力って、天性のものよね。 だけどこのとき世の中は、畠山重忠戦死で盛り上がっていましたし、「この流れに乗っとくか」 ってなったんです。 残念ながら、宝物館は土日休日しか開館しておらず、月曜日にお参りした私は鎧拝観できず。 中川君ファンがわんさか……と想像していましたが、中高年の登山客と、家族連ればかりでした。 ……類友って本当に怖いなって思うんですけど、私の周囲では、8割が大河観てるもんで、世の8 割が大河を観てると思っちゃうんですよね(^^ゞ だから「こんなに盛り上がってるのに、宝物館が開いてないわけない!」って思い込んじゃった けど、世の中はそ~でもないみたいです(笑) 私的には、式内社である大麻止乃豆乃天神社の論社であるってことに興味が惹かれます。 東京都稲城市の大麻止乃豆乃天神社ほか、東京都八王子市北野町の天満社、府中市の大國魂神社 も比定されておりまして、そんな中に、山岳信仰の色が濃い武蔵御嶽神社が入ってるのが興味深 いな、と。 そして、この神社の狛犬が大口真神、大神であることも面白い。 三峯神社とそう遠くありませんし、このあたりでは狼信仰があったんでしょうね。 奥宮は御嶽山山頂。 思いっきり逆光ですが、神々しく見えなくもないかも。かも。 祭神の櫛眞智命は中臣氏の祖神で、占いの神。 そんなわけで、毎年1月3日の早朝に、太占祭が行われているのだとか。 このとき使われた鹿の骨も、お守りとして授与されています。 火打石もお守りとして授与されているんですが、見本をカチカチ鳴らしても、全然火花が出ない。 巫女さんに、 「どうやったら火が出るんですか?」 と聞いたら、丁寧に教えてくださるんだけど、私がやると全然でない。 何度もお手本を見せてくださる巫女さん。 何度やっても出ない私……。 フンが~!!と打ち合わせたら、やっと出ました(笑) 叩くというより、「切る」感じが正解みたいですね。 「切り火(鑽火)」ってネーミングは伊達じゃない。 奥多摩ですからね。 そうそう行けない場所ですし、ついつい長居しちゃいました。