祭 神:伊弉諾尊 伊弉冉尊 彦火火出見尊 菊理姫尊 天忍穗耳尊 大己貴尊 説 明:平成祭データを転載します。 「霊峰白山を御神体山と仰ぎ、白山信仰の表日本における一大拠点であり、いわゆる美濃馬場とは この地のことである。 古くから土民の祀る一社があったが、養老元年(717)泰澄大師が白山に登拝してからは、修 験道で栄え、白山妙理大権現を祀る霊場となった。一方この地は奈良の都の鬼門にあたり、元正 天皇は帝都鬼門勅願所に定められ、飛州河上郷に至まで、一万三千石の神領を拝受し六谷六院三 百六十坊を置いて隆盛を誇り全国から参集する信仰者によって文化の栄えた処である。明治の神 仏分離令によって白山神社、長滝寺、阿名院等に分け、その後明治三十二年の大火に依り消失す るも、神仏習合の旧観を保ち、雄大な本殿と豊富な文化財を今日に伝えている」 住 所:岐阜県郡上市白鳥町長滝字杉山91番地 電話番号: ひとこと:泰澄が開いた白山神社がどこなのか。 あちらこちらにあるようで、本家争いになってるようです(^^ゞ この神社も本家を名乗る一つのよう。 同じ境内に白山中宮長滝寺も鎮座しています。 明治維新の際に、寺院と神社に分離したようですね。 「往時の白山中宮長滝寺 白山中宮長滝寺は、霊峰白山を開山した泰澄が奈良時代養老年間に創建した山岳寺院であった。 平安時代天長九年(832)加賀馬場白山本宮・越前馬場白山中宮平泉寺と並ぶ白山三馬場の一 つ美濃馬場として、白山へ登頂する美濃禅定道の拠点となっていた。治安元年(1029)延暦 寺天台別院となり勢力を拡張、寺領は飛騨国河上庄を含む広大な範囲に及んだ。 隆盛時には『六谷六院、神社仏閣三十余宇 衆徒三百六十坊』と称され、白山信仰の道場として、 朝廷や武士・貴族の信仰も厚く、信徒は美濃・尾張・三河・駿河に広がり、この地に宗教文化の 花が絢爛と咲き誇った。 明治維新の神仏分離で白山長瀧寺と長滝白山神社に分かれ、さらに明治32年(1899)大火 により堂社を焼失し古の面影はなくなったが、今なお境内には石燈篭や堂塔の礎石など中世寺院 遺構が点在する。幸い持ち出された数多くの宝物が文化財として保存され、白山瀧宝殿・白山文 化博物館で順次公開されている」 とありました。 この神社は、鳥居くぐったとたんに雨が降り出しまして、拝殿に入ったとたんに土砂降りに(^^ゞ 雨宿りでしばらく殿内にいざるを得なかったのですが、建物は寺院みたいでした。 神社というよりお寺なんでしょうね。