祭 神:那牟羅彦神 那牟羅姫神 国狭槌尊 説 明:境内案内板からご由緒を転載します。 「当社の御鎮座は上古に属し、平安時代の延喜式神名帳に長寸神社と記す格調高い神社である。 社伝によれば、垂仁天皇の御代に統治法を開拓された御祖を最高の産土神と崇めお祀りされた(東 本宮)のが創祀とされる。その後、冷泉天皇の安和二(969)年三月二十八日、大和芳野の金峯山 より主神の一柱を勧請し、祀る社伝を造営された(西本宮)ことから両本殿がある。 爾来、諸願成就の神として尊崇し親しまれ、近郷三十三ケ村の総鎮守として社運年毎に栄えてきた 大宮である。 長寸神社に苗の字を用いたのは、寛仁元(1017)年後一條天皇より苗村神社の称を賜り現在にいた る。 当社西本殿再建の棟札銘文に曰く、社伝の修造は遠処まで沙汰して造立され、建保五(1217)年に は有勢の豪族が神事を掌ったことが記されている。 天文五(1536)年には、後奈良天皇は当社に正一位の神位を奉授され、よって勅使が参向し、神主 任官神号宸筆勅額法楽和歌の寄贈等皇室及び公家との関係頗る親密にて深く尊崇された。天正年間 に、織田信長が馬鞍一具と太刀七振りを献上する等由緒は顕著である。 当社の例祭は毎年、四月二十日に斎行され、殊に三十三年毎に式年大祭を執行し、古式ゆかしく行 われる。 神域には国宝西本殿を始め、他五棟の建物及び木造不動明王立像いずれも国の重要文化財指定が保 存され、悠遠なる名車としての歴史を物語っている。」 住 所:滋賀県蒲生郡竜王町綾戸467 電話番号: ひとこと:龍王寺の住職によれば、このあたりは渡来系の「ナギ族」の本拠地であったとのこと。 御祭神はナギ属の祖神でしょうか。 奈良は吉野の武将、小野時兼は、病を得て龍王寺の薬師如来にすがりこの地で二年間養生したとの こと。 そして苗村神社の宮司さんは、その子孫なのだそうです。 いろいろつながっているなぁと……。