祭 神:飽速玉命 若弥尾命 須佐之男命 野間姫命 説 明:境内案内板を転載します。 「当社は上皇室の御尊崇も厚く天平神護二年(766)従五位下を授けられ御神領二烟を充てられました。 御神領も増やされ承和四年(837)には名神に預かりました。 神階も度々進み天慶三年(940)には正二位になりました。 鎌倉時代以後は武将の崇敬が厚く源頼朝を、始め河野家 が代々神領を寄進し、足利尊氏も御教書を二度捧げています。後醍醐天皇は特に当社を御尊崇あらせられ両度論旨 を賜われました。明治になり四年には郷社、二十八年(1895)県社に昇格しました。 祭神は須佐之男命、飽速玉命は安芸の国造でその三世の孫が若弥尾命です。この命は神功皇后の三韓征伐に大功を たてられ、その後野間の国造としてこの地方を開拓して下さった御方で野間姫命はこの命の御妃です。 当社は古来疫病徐開運、農業の神として霊験あらたかで又松山藩主の雨乞いの祈願所として度々神異を顕はせられ ています。祭礼は正月一日から三日まで開運並びに悪病除け、五月三日は例大祭、土用の入りから二夜三日は悪病 除けの祈祷、十一月二十三日は新穀感謝祭の神事をいたします。 平成十七年三月、氏子の皆様の多大なる寄進を仰ぎ境内整備、神輿新調、山門随神、拝殿絵馬、修復、社務所、神 輿蔵に九社権現十二社権現、手水舎の新築が成りました。 誠に有り難うございます。 此の様に尊い神様ですから益々神社の発展と神威の発揚の為に御協力をお願い致します。 宮司 鴨頭司」 「古来より、神威霊験赫で、延喜式内明神大社。 天慶二年正一位に上る。野間総社で、悪病除け、 開運の神」 住 所:愛媛県今治市神宮699 電話番号: ひとこと:飽速玉命は「あきはやたまのみこと」と読み、先代旧事本紀に「阿岐国造。志賀高穴穂朝。天湯津彦命五世孫飽速 玉命定賜国造」とある。 つまりは、安芸の国造家の祖にあたるらしいのですが……なぜ、安芸の国造が愛媛なのだろう? また、大阪の野間神社も物部系なんですよ。 「野間」という音に、何があるのでしょうね?