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大麻比古神社

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  祭  神:大麻比古大神 猿田彦大神
  説  明:ご由緒書を転記します。
      「神武天皇の御代、天太玉命の御孫・天富命、勅命を奉じて洽く肥沃の地を
       求め、阿波国に至りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して、殖産
       興業の基を開き、国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命
       を此の地に斎き祀る。
       猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが、後世に至り、本社に合せ祀
       ると伝えられる。
       延喜の制、名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波、淡路両国の総産土神
       として崇め奉る。
       清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して、中御門天皇享保四
       年正一位に進み給ふ。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、
       神田山林を寄進、藩費を以て、社殿の造営を行ひ、年々歳費を奉らる。明
       治六年国幣中者に列す。
       明治十三年国日を以て本殿以下の造営が行はれた。現在の祝詞殿、内拝殿、
       外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。」
  住  所:徳島県鳴門市大麻町坂東字広塚13
  電話番号:0886−89−1212
  ひとこと:この神社の拝殿後ろには、大麻山。
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       ぽっこりした形が印象深い山ですね。
       
       多分、この山がご神体なんでしょう。
       また、境内には大きな楠。
       
       ご祭神である天太玉命は、忌部氏の祖神です。
       
       阿波忌部氏の関わりや、麻を植えたというご事績などからも、海洋民族の
       神社ではないでしょうか。
       
       阿波や讃岐の神社については、大和や河内とは多分、はだいろが違うと思
       うので、勝手なことを言おうにも何も思いつかないのですが(^^ゞ
       
       ただ、この神社の境内に、
      「奥宮」
       と書かれた看板がありまして、参拝してみるべ……とその道をずんずん進
       みますと、
      「大麻山参拝口」
       と書かれたところにたどり着いてしまいました。
       
       そこにはまた、「御山神社」という扁額のある鳥居も建てられています。
       
       つまり、大麻山山頂が「奥宮」なのでしょう。
       
       私たちがそこらへんをウロウロしていると、地元の方らしき女性が、男性
       に、
      「明日忙しいから、今日は登るのやめておくわ」
       と話しておられるのが聞こえました。
       
       そして私たちが、
      「登りたいけど時間がないし……」
       と引き返したところ、その男性が登ってこられ、
      「あれぇ、あんたら登らないのかい?」
       というようなことを聞かれました。
       
      「時間がないんで、すいません(^^ゞ」
       と言い訳しながらも、地元の方たちが、ごくごく自然に、そして頻繁に、
       このご神体山に登拝されてるのだなということを感じました。
       
       地元に愛される神社って、素敵じゃありませんか?
       
       今回の参拝の旅で、私は「四国の昔ばなし」という本を購入しました。
       二十のお話しが掲載されているだけの、お土産本なのですが、その中に、
      「船で流されてきたお姫様」
       のお話しが二話もあったんです。
       
       どちらも高貴なお姫様。
       そのうちひとつでは、衰弱して亡くなってしまうのですが、姫と一緒に
       幼い赤ん坊も流されたとなっています。
       彼女はわけあって夫の怒りを買い、流されたのだとか。
       
       高貴な女性が身ごもり、もしくは女性の病にかかったため、夫から捨て
       られ、うつろ舟で流される話はあちらこちらにありますよね。
       
       そして、もう一つの話は、「糸より姫」と題された話です。
       この中で、糸より姫は、平家の姫で、高松市の西浜というところに流れ
       てきたと伝えられています。
       
       彼女は美しすぎたため、魚の商売をしても、男たちは美貌に見惚れるだ
       けで商品に気づきません。
       仕方なく、顔に頬かぶりをしてたらいを頭に載せて商売をしたところ、
       大繁盛。
       
       これがいわゆる、「いただきさん」の始まりだと伝えます。
      「いただきさん」というのは、たらいに商品を入れ、頭に載せて売り歩く
       女性の呼称ですね。
       
       しかしここで、「顔を隠す」ことが語られているのも興味深い。
      「椎賢比丘筆記」で、うつろ舟によって流され、流された香椎で皇子を生
       みおとしたとされる神功皇后には、
      「神水で顔を洗ったら醜くなったので、男装をした」
       とする伝承が、大阪にある磯良神社に残っています。
       
      「船で流される」
      「顔を隠さなくてはいけない」
       このあたりに何かがあるような気もするのですが……。
       
       そして、この姫が「糸より姫」と呼ばれるようになった理由は、彼女が
       晩年、細糸をつむぐことになったからとか。
       
       糸くり姫ですね。
       遠くからやってきた人が、糸に関する技術を伝えると表現すれば、この
       神社のご祭神とも重なります。
       
       この「昔ばなし」では、糸より姫は、平家の姫となっていますが、その
       起源はもっと古く、神話の時代なのでは?
       そして、もしや、「糸より姫」には子どもがいたのでは?
       その子の名は、もしや、大麻彦、もしくは天富命では……。
       
       妄想は広がるばかり(笑)
       
       とはいえ実際に、高松市の公式ホームページにある「糸より姫」の説明
       では、糸より姫は後醍醐天皇の皇女と説明されていますから。
       
       糸より姫がどういう姫かは諸説あると考えてよいでしょう。
       ただ、高貴な姫であるとだけ。
       
       讃岐と言えば、衣通姫と軽皇子が流され、姿を消した場所でもあります。
       
       高貴の人が流れてくる場所。
       
       そこに伝わる糸より。
       さてさて、興味深いです(#^.^#)

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