祭 神:御井神 月読命 市杵姫命 説 明:境内案内板から引用します 「和銅三年(710)の創建。 光秀の兵火で焼失した社殿を、天正十二年(1584)秀吉が、片桐且元を奉行として再建せし めたものという。 祭神は、御井神、月読命、市杵島姫命で、伝説によると御井神(木俣神)が、市杵島姫命と 洛西松尾大社から神使の亀に乗って大堰川を遡上されたが、保津の急流が乗り切れなかった ので、鯉に乗り換えて、ここ大井に上陸して鎮座されたということである。 為に当社の氏子は鯉を尊び、食用は勿論、捕らえることも禁じ、五月の節句に鯉のぼりもあ げない風習が続いている。 十月十六日の例祭には、古く貞観八年(866)に始まったという、勇壮な競馬が当社の馬場 で、武者姿の氏子により奉納される」 住 所:京都府亀岡市大井町並河 電話番号: ひとこと:木俣神が市杵島姫と夫婦である……と考えられる伝説で、非常に気になっています。 木俣神って、木の股に挟まれて捨てられたこと以外、神話は何も語らないじゃないですか。 不憫で不憫で(^^ゞ でも、美女として名高い市杵島姫と夫婦になったんなら報われるなって。 あと、このあたりは大山咋神の領地。 大山咋神は大国主と非常に近い神話を持っていますから、木俣神はその息子なのかな? だとしたらなにかしらの活躍をしたはず。 川を遡ったというのは、干拓のためでしょうか? そこらへん、しっかり知りたいですよね(笑)