祭 神:高美計神 説 明:境内案内板から引用します 「康保四年(九六七)施行の『延喜式』には、神社の名前として『乙訓郡大井神社』と記載されている。 現在の氏神は、高美計(たかみけ)神である。この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわえている。 しかし、はじめは聖徳太子の幼児の像が祀られていたところかあ、千児(ちご)明神と称していた。 現在、児子神社はこれより東方、大枝塚原町の地にある。 境内には、享保八年(一七二三)と記された石灯籠があり、江戸時代にはさかえた様がうかがわれる。 神紋は双葉葵である。 命じ六年(一八七三)村社に工定される。現在、沓掛町の氏神として、人びとに親しまれている。 境内地二反四畝十六歩(七三六坪 約二四三三平米)。 大礼祭は五月二十一日(金ねは二十一日の直前日曜日)」 住 所:京都府京都市西京区大枝沓掛町7‐52 電話番号: ひとこと:もともとはここが千児神社だったところが、なぜだか「児子神社」の名だけが大枝塚原町に鎮座する 神社に遷ったということでしょうか? ただ、この地の先住民が大枝氏であるということ。 そして、大枝氏の祭祀神が高美計神ということは興味深いです。 高美計神がどんな神様かはわかりませんし、ざっと調べたところ、他にこの神様を祀る神社も見つかり ません。 「たかみけ」の音からすると、「みけつ神」……つまり、穀物神かなぁという想像もできますが、なんと もかんとも。 むしろ、「児子」に注目した方が良いかもしれません。 通常、稚児とは7歳くらいまでの子供のことを指します。 人は神様の分霊(わけみたま)をもらって生まれてきますから、生まれたてはまだ、神そのものなんで すね。 でも、この世の罪穢れに染まり、だんだん汚れてくる。 だけど、7歳くらいまではまだまだ綺麗ってことで、「7歳までは神のうち」と言われたりします。 とはいえ、「7歳までは神のうち」という言葉は、「だからまだ人間ではない」という解釈も生むわけ で、「だから殺しても良い」と考えた時代もあるんですけどね。 どんなものにも両面があり、だからこそ面白く、だからこそ怖いんだけどね。 でも、いろいろ考えてみると、この神社ではその昔、どんなことが行われていたのか。 興味深くなるでしょ?