祭 神:建速須佐之男命 (配祀)天若日子命 阿遲志貴高日子根命 説 明:平成祭データかを転載します。 「当社は美濃市大矢田、天王山の麓楓谷の鎮座である。上古人皇第7代皇霊天皇の御代(約2270年前)の創祀である。 元正天皇の養老2年(718)僧泰澄は篤く当社を尊仰し、天王山一山を開基し、広大な堂塔伽藍を建立して、天王山 禅定寺と称し聖武天皇の御信仰も篤く頗る盛観を極めた。社頭を牛頭天王社と称した。天王山は当地の豪族後藤勘左衛 門城主の城郭の有った所で標高537メートルの霊山である。後奈良天皇の弘治2年(1556)兵乱起こり類火に罹 って全山焼失した、正町天皇の永禄2年(1559)牛頭天王社の仮殿を建設し、その後百有余年霊元天皇の寛文12 年(1672)釈迦堂跡に現在の本殿が再建された。明治維新に到り、神仏分離の大命によりすべての仏堂仏像を廃し、 明治3年には牛頭天王社を大矢田神社と改称した。明治6年1月美濃国第8大区第9小区の郷社に昇格する。昭和21 年10月宗教法人令により宗教法人となる。昭和27年1月神代の喪山神話に関係する縁の神社、喪山天神社、華堂神 社、青柳神社を合併した。昭和27年12月宗教法人法により宗教法人となる。天王山の麓、楓谷は文部省指定の天然 記念物ヤマモミジ樹林となり、古くより有名であり、境内社喪山天神社は天若日子命を祀る喪山神話の地で、付近一体 は神話縁の故郷である。又御本殿および拝殿は國の重要文化財に指定されている」 住 所:岐阜県美濃市大矢田2596番地 電話番号: ひとこと:天若彦の墓と伝わる喪山古墳は、岐阜県不破郡垂井町1962-2にあります。 古墳の案内板には、 「喪山古墳は周囲約二〇〇m、高さ四〇mの丘陵上に立地しており、東と西にそれぞれ高まりを持っているので、円墳が 二基存在するとも、山全体が前方後円墳であるともいわれている。 古事記・日本書紀に記されている喪山伝説の天稚彦の墓と伝えられており、別名を葬送山古墳ともいう」 でも、喪山古墳のそばに、天稚彦を祀る神社はありません。 ここ、大矢田神社の境内地も、喪山神話の地だとあるのですが、喪山天神社がどこなのか、探し回ったのですが、よく わかりませんでした。 参道の階段左側に天満宮はあったんですけどね……。 もしや天王山の山中かもしれないとは思ったのですが、日が暮れそうだったのと「熊出没注意」の看板に、探すのを断 念。 しかし、天稚彦の喪屋がこのあたりにあったということは、彼の本拠地……高天原……はこのあたりだったということ でしょうか。 飛騨には両面宿禰の伝説が伝わりますし、四道将軍が遣わされた場所でもあります。 大和朝廷にとって、手ごわい敵がいた場所なのでしょうね。