祭 神:少彦名命 天津彦根命 説 明:境内案内板から、由来を引用します 「当社は天平二年(730)の『大倭国正税帳』に、また延長五年(927)の『延喜式内社』にも名前が みえる古社で、本殿を持たずに宮山をご神体とし、拝殿の北側に神が鎮座する『石神』と称する自 然石十数個を並べた『磐座』があります。 ここ忍坂の地は隅田八幡宮所蔵の国宝人物画像鏡に刻まれた『意柴沙加(おくさか)宮』の地とも され、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。 また忍坂大中姫命や衣通姫が居られたとも伝わり、『大和志料』では額田部氏の祖天津彦命を祀る とも記され、平安時代の医書『大同類聚方』に当社相伝の『以久禰薬』(額田部速の上奏)のある ことを伝えています。その薬の製法h昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの 地で額田王と鏡女王姉妹の繋がりや、息長足日広額天皇(第三十四代舒明天皇)の陵墓があること から、息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。 拝殿への石段の左右には境内社の『神女神社』と『愛宕神社』を、北側には『天満神社』を祀りま す。 石灯籠(二十四基の最古のものは拝殿下左右の延寳に年(1674)、正面登り口の石橋は正徳五年 (715)の刻銘があります。また年代不詳の陰陽石が一基あり、静かに邑の安全と繁栄を見守ってい ます」 住 所:奈良県桜井市忍坂871 電話番号: ひとこと:忍坂大中姫は特に好きな皇后です。 誇り高くて、意志が強くて。 なんで允恭天皇の皇后になっちゃったんだろ。 もう少しシャキッとした天皇の方が似合ってたと思うなぁ……。 『以久禰(いくね)薬』が気になりますね。 大阪住吉大社のそばにある生根神社も、御祭神は少彦名命。 なんの関係もないことはないように思います。