祭 神:多々美彦命 説 明:境内案内板から、由来を引用します 「地主の神として大宝年間以前よりこの綣の地に鎮座されている。 伊吹山に座す多々美彦命が祭神。古来は、意布伎(伊不伎)神社と記されている。社内にあった 狛犬の台座裏に『伊布伎里惣中』と記されている。中世には、若宮権現とも呼ばれ、現在も通称 その名で呼んでいる。御神木は「いぶき」で、意布伎の意は、『お』とも読めるため『おふき』 と呼んで追来に転じたとされる説が有力である。 また、雨乞いにより雨を授けていただいたので水の神でもある。 地主神でありながら、大宝神社本殿が主祭神となっているため、無理に境内社としての位置付け になり、若宮でありまた、社名変更を余儀なくされていると推測される。国指定重要文化財特別 保護建造物一間社流造り鎌倉時代1283年(弘安六年)の棟札現存……棟札も文化財指定 あまづか(通称には蛇池という) 1430年(永享二年)六月の文書中、干時にて苗が枯れつつあったとき、若宮権現追来神社裏手に 大穴を掘り、田楽や神楽の奉納、大般若心経等の奉読等を続けることにより、二日後三昼夜適量 の雨量があったとあり、仏法と神力は信ずるだけのことがある等が記されている。 その後の干時にも諸奉納とともに池をさらえることにより、適量の降雨に恵まれたことが文書に 記されている。由緒ある池」 大寶神社の由緒を境内案内板から引用します。 「当社は、701(大宝元)年疫病流行の時、小平井村信濃堂に降臨され、村人たちが霊仙寺村を経 由して綣村の意布伎神社境内に鎮座されることにより疫病が鎮まったと伝えられている。 このとき社名を大宝天王宮と称し、正一位とされた。広く五十余年郷信仰の総社と称され、翌年 より健康を授かろうと例大祭を四月初子の日と定めた(現在五月四日)。同年に今宮応天大神宮 の神号勅定。858~67年(貞観年中)より天台宗融合の両部神道となる(後略)」 住 所:滋賀県栗東市綣7丁目5−5 電話番号: ひとこと:なぜだかわからないんですが、大宝神社の写真を一枚も撮ってない……。 大宝神社はいわば祇園信仰の神社で、妻神の稲田姫を祀った神社を正面から撮影しており、左の 奥に映っているのが大宝神社です。 伊布伎……ということは、伊吹山が御神体なんでしょうか。 多々美彦命という神名は他に見当たらないのですが、伊吹山の地主神と考えてよさそうです。 そして鎮座地の地名「綣」が「へそ」と読むのも意味深な気がしますね。