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雷電神社

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奥宮

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雷電沼

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ナマズ






  祭  神:火雷大神 大雷大神 別雷大神
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「聖徳太子の御創建
       社の歴史は古く、推古天皇6年(598)のころ聖徳太子が板倉の沼の清らかな水にお祓いをして身も心も清めて
       いますと、黒雲白雲が垂れ込めて、やがて雲の間から尊い天の神の声が聞こえました。そこで太子は広大な沼
       の浮島に祠を建てて、この神を祀りなさいました。
       征夷大将軍・坂上田村麻呂公を救った不思議の童子
       平安時代、延暦24年(805)、雷電の神の化身の童子に窮地を救われた征夷大将軍・坂上田村麻呂公が桓武天
       皇の許しを得て社殿を造営します。
       雷電沼
       万葉の歌人、柿本人麻呂が詠んだ大藺草の生い茂る伊奈良の沼の名残が、この雷電沼です。その昔、龍馬と龍
       駒が飛び出たとも、雨を降らす龍が棲むとも伝えられます。雨乞いの水はここから採ります。」
  住  所:群馬県邑楽郡板倉町板倉2334
  電話番号:
  ひとこと:近年まで雨乞いの儀式が残っていたとかで、沼も一部が現存しています。
       社殿も立派。
       関東は東照宮を建造するための職人が育っていて、腕のある建築士がたくさんいたんだそうですね。
       雷電神社社殿の彫り物は、左甚五郎から10代目にあたる名人・石原常八の手によるものだとか。
       
       関西では雷神といえば菅原道真公ですが、関東の雷神は雨乞いの神の性格が強そう。
       沼の水も関係があり、たくさんの淡水魚が棲んでいたとかで、境内には鯰料理屋が2件ありました。

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