祭 神:天宇受売命 説 明:境内案内板を転載します。 「御祭神神話 天宇受賣天津神は天照大御神に仕える女神。宇受は髪飾り。『古事記』に記す。 天照大御神、天岩戸にさし籠りましき時、高天の原暗く、葦原中国ことごとく闇し、八百万の 神々、天の安の河原で思案なされし時、天宇受賣命、天の香山の天の日影を手次に繋けて、天 の真拆を鬘として、天の香山の小竹葉を手草にゆいて、天の岩戸に槽伏せて、踏み轟こし神懸 りして、胸乳をかき出て、裳緒を陰に押し垂れき。ここに高天の原動みて、八百万の神ともに 笑いき。 天孫降臨に際し、天宇受賣命、五伴緒として随行し、天の八街にいて、天照大御神詔りし、汝 は手弱女人にはあれども、い対ふ神と面勝つ神なりと、猿田彦命の真を問いただす任を請けた。 的に向かって気後れしない、信のあった女神。後日猿田彦の妻に推さる。 鎮座由緒 神楽大明神三社二間×三間半、末社多し。北面に御手洗池の泉流あり。神殿前に欄干橋、鳥居 あり。境内およそ一町四方余地。内に田畑あり。 昔、神楽谷の大稗小稗の但馬境の峯に鎮座せり。その古跡を恩ヶ嶽又は天ヶ嶽という峯に仏石 とよぶ御神体あり。惣持の猟師背負い奉りて山を下り、大稗小稗の境で休むところを、鍵掛小 稗口の古木の蔭で休む所を下がり松とよぶ。さらに桧倉口の田の中の小森で休んだ後、小倉に 降りしが、九ヶ村は桧倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文室、市原、森なり」 住 所:兵庫県丹波市青垣町小倉575 電話番号: ひとこと:アメノウズメの「ウズ」を髪飾りと明言されていますね。 小学館の『精選版 日本国語大辞典』で「髻華(うず)」を調べると、 「〘名〙 髪や冠にさした飾り。主として上代に行なわれた風俗。 ① 木や草の枝葉や花を折って髪にさして飾りとしたもの。本来は単なる装飾としてではなく、 髪にさすことによって草や花の生命力を身につけようとする、感染呪術の一つ。挿頭(かざし)。 ※古事記(712)中・歌謡「熊白檮(くまかし)が葉を 宇受(ウズ)に挿(さ)せ その子」 ② (①から) 金、銀、銅で造ったものや、鳥の尾、豹(ひょう)の尾を冠につけ、飾りとしたもの。 冠位や時代によって区別がある。 ※書紀(720)推古一一年一二月「始めて冠位(かぶりのくらゐ)を行ふ。〈略〉唯だ元日(むつき のついたちのひ)のみには髻花を着(さ)す〈髻花、此をば于孺(ウズ)と云ふ〉」 とあります。 アメノウズメは「天の真拆(まさき)を鬘として」とありますから、アメノウズメのウズは真拆 蔓ということになります。 真拆蔓は別名を定家蔓といい、その名の通り、藤原定家にまつわる伝説を持ちます。 新三十六歌仙の一人でもあり、賀茂の斎院を務めた式子内親王について、藤原定家は『名月記』 の中で親しく何度も触れており、二人の関係は大変親密であったとされています。 しかし、賀茂の斎院は、伊勢の斎宮と並ぶ重要な「神の嫁」ですし、大っぴらに恋をすることは、 許されなかったでしょう。 彼女の詠んだ歌は、多く忍ぶ恋の歌です。 藤原定家に詠んだとされるのが、 生きてよも あすまて人は つらからし 此夕暮を とはばとへかし あなたを恋するあまり、明日まで行きていられるかしら。少しでも私を思ってくださるのなら、 この夕暮れのうちに私を訪ねてください。でも、きっとあなたは訪ねてくださらないわ。 ちょと怖い(^^ゞ 百人一首に……つまり藤原定家に……選ばれた彼女の歌は、 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする こちらも忍ぶ恋の苦しさを詠んだ歌ですね。 まぁとにかく、式子内親王と藤原定家の間には、忍ぶ恋があったと考えられており、能の『定家』 では、式子内親王が身罷ると、定家はテイカカズラに生まれ変わり、その墓にからみついたとさ れるのです。 天のウズのような女と呼ばれたアメノウズメ、が一世一代の舞台でウズとしたマサキカズラは、 そ~ゆ~草なのでございます。