祭 神:日本武尊 説 明:ご由緒から引用します 「人皇第十二代景行天皇御代四十年、皇子日本武尊、東夷の賊徒を平定し、御帰還の途次常陸国より武蔵国 を経て相模国足柄御坂を越えて甲斐の国に入り、此の地酒折の宮に御駐篭せられ給いし事は古事記・日本 書紀に記述されている。尊、御着宮の夜、宴を開き群臣共の旅愁を慰む。宴半ばにして、尊過ぎ来し事ど も思召されて 『新治筑波を過ぎて幾夜かねつる』 と詠じ、旅の程を給いしにお答え申す者がなかった。 その時傍で庭篝火を焚く老翁、庭前に進み 『かがなべて夜には九夜日には十日を』 と続け奉りしにより、尊,厚くその聡を賞した。 この歌をもって我国連歌の最初なりと云う。石碑は古天神前にある。 尊はしばらく御滞在になり国内を巡視なされ、やがて信濃国に向はせ給う時、塩海足尼を召して 『汝は此の国を開き益を起こし、民人を育せ、吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」と宣り給いて、 『火打嚢』を授け給えり。 ここにいう『火打嚢』は、尊が御東征に向かわれるとき、伊勢の皇大神宮にご参拝の折、同宮の祭主であ り、叔母君の倭姫命から『草薙剣』と共に賜られしもので、途中駿河国で、国造に欺かれて野原に火を放 たれ、火攻めに遭われたが、剣で草を薙ぎ払い、嚢の口を解き開き,迎え火打って難を免れたものという。 塩海足尼謹みて御命を奉斎し、後に社殿を建て『火打嚢』をご神体として鎮祭す。これ当社の起源なり」 住 所:山梨県甲府市酒折3-1-13 電話番号:055-231-2690 ひとこと:関東で、日本武尊関連の神社は、多くの場合修験と関係しているように思えました。 鳥居は両部鳥居ですしね。 この神社もそうでしたが、そこに連歌が絡んでくるのが興味深い。 修験と歌に、どんな関係があると思います?