祭 神:寒川比古命 寒川比女命 説 明:案内板からご由緒を転載します。 「当神社は総国風土記によりますと、雄略天皇(457~479年)の御代に奉幣(天皇より神社に献上品が下 されること)の記録があり、神亀四(727)年に社殿建立とも伝わり、1600年以上の歴史を有しています。 以後、延暦十六(797)年桓武天皇を始めとして歴代奉幣の記録があり、承和十三(846)年に神階従五 位を始めとする神階授与もなされています。 また醍醐天皇の御代に制定されました延喜式神名帳によれば相模國十三の内、名神大社とされており、 関東地方の信仰の中心をなしていました。 中世においては源頼朝、小田原北条氏累代による社殿造営や社領寄進がなされており、武田信玄からは 武運長久を祈願して鉄錆地六十二間筋兜(神奈川県指定重要文化財)が奉納されるなど特に崇敬の念は 篤く、徳川家代々においても社殿再建、社領寄進など古来より武家からの崇敬は極めて篤いものがあり ました。 明治期になりますと、明治四年五月に制定されました官國幣社制度によって、例祭において国費から幣 帛料が奉納される「国幣中社」に列せられました。 その後、大正時代における関東大震災、承和の御祭典という時代を経て、昭和二十年八月十五日、大東 亜戦争の終戦後、同年十二月の神道指令によって、神社の国家管理制度が廃止されました。昭和二十一 年二月、神社神道の宣布と祭祀の執行による氏子の教化育成を目的として、全国の神社及び神社関係者 を統合する神社本庁が設立され、当神社も神社本庁による包括神社となっております。 戦後、日本全体の復興とっともに、八方除信仰を中心とした御神徳の宣揚に努め、全国の崇敬者からの 御崇敬と多くの御参拝をいただいておりいます。」 住 所:神奈川県高座郡寒川町宮山3916 電話番号: ひとこと:寒川比古命と寒川比女命がどのような神様なのかはわかりません。 多分、相模川あたりを本拠地とした相武国造の氏神であろうとされていますが、関東の古代史は本当に よくわかんないんですよ(^^ゞ なんせこの時代はまだまだ「蛮族の国」だったので……。 武者の尊崇が篤い神社ということで、関東の戦を掌ったのだろうと思われます。 朝8時に参拝すると、すでに神職さんたちが境内を掃き清めておられ、にこやかに挨拶してくださいまし た。 大きく由緒ある神社ですが、商売っ気もまったく感じず、なんだかよい感じでした。