祭 神:大碓命 景行天皇 垂仁天皇 説 明:境内案内板を転載します。 「創祀は、社殿によれば、仲哀天皇元年とあり、山麓の本社、東峯の東宮、西峯の西宮を総称し、 猿投三社大明神と崇敬されて、今日に及ぶ。 神階は、三河国神名帳に、正一位猿投大明神と記されている。 社格は、延喜の制(967年)国弊の小社、明治の制(1872年)縣社。 一宮制が行われるや、三河三宮となる。 神領は、織豊時代より明治維新まで、七七六石の朱印を与えられた。境内外に神宮寺が建て られ、猿投白鳳寺と呼ばれ、明治元年まで、神仏混淆の地であった」 「左鎌奉納の由来 御祭神大碓命がこの地方を開拓された御神徳を慕い、古来より左鎌を奉納して諸願成就を祈 願する特殊信仰がある。 言い伝えによれば、双生児の場合、一方が左遣いであり、大碓命が小碓命と双生児であるの で、命が左遣いであられた縁によるとも、また災難を断ち切り、豊作・病気平癒等の祈願成 就を祈ったともいわれるが、起源は定かではない。 現在は、職場交通安全を祈る会社関係の奉納が盛んである」 住 所:愛知県豊田市猿投町大城5 電話番号: ひとこと:大碓命を主祭神としている神社って、そうとう珍しい気がしたのですが、調べてみたら、17 社ありました。 ただし、そのうち一つが豊田市藤沢町の猿投神社で、どうやら「猿投」と「大碓」には、な んらかの関係がありそうですね。 また、ここ美濃で大碓命が祀られるのは、日本書紀の記述によるようです。 景行天皇四十年秋七月十六日の条です。 「天皇は群卿に詔して、『いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷がすべて背いて人民を苦しめ ている。誰を遣わしてその乱を鎮めようか』と問われた。群臣は、誰を遣わすべきかわから なかった。日本武尊が申し上げられるのに、『私は先に西野征討に働かせて頂きました。今 度の役は大碓皇子が良いでしょう』といわれた。そのとき大碓皇子は、驚いて草の中にかく れられた。使いを遣わしてつれてこられ、天皇が責めて、『お前が望まないのを無理に遣わ すことはない。何ごとだ。まだ敵にも会わないのに、そんなにこわがったりして』といわれ た。これによってついに美濃国を任され、任地に行かされた。これが身毛津君・守君二族の 先祖である」 と、この地にやってきたのは、決して名誉なことではなかったんですね。 古事記には、弟である小碓との間に、ひと悶着あったことが書かれています。 引用しましょうか。 「天皇が小碓の命に仰せられるには、『お前の兄はどうして朝夕の御食事に出て来ないのだ。 お前が引き受けて教え申せ』と仰せられました。かように仰せられて五日たってもやはり出 てきませんでした。そこで、天皇が小碓の命にお尋ねになるには『どうしてお前の兄が永い 間出て来ないのだ。もしやまだ教えないのか』とお尋ねになったので、お答えしていうには 『もう教えました』と申しました。また『どのように教えたのか』と仰せられましたので、お 答えして『朝早く厠におはいりになった時に、待っていてつかまえてつかみひしいで、手足 を折って薦につつんで投げ捨てました』と申しました。 そこで天皇は、その御子の乱暴な心を恐れて仰せられるには、『西のほうに熊曾建二人があ る。これが風重しない無礼の人たちだ。だからその人たちを殺せ』と仰せられました」 この兄というのが大碓のこと。 なぜ大碓が食事に出て来なくなったかも引用しときますね。 「天皇は、三野の国の造の祖先の大根の王の女の兄比売・弟比売の二人の嬢子が美しいという ことをお聞きになって、その御子の大碓の命を遣わして、お召しになりました。しかるにそ の遣わされた大碓の命が召し上げないで、自分がその二人の嬢子と結婚して、更に別の女を 求めて、その嬢子だと偽ってたてまつりました。そこで天皇は、それが別の女であることを お知りになって、いつも見守らせるだけで、結婚をしないでその嬢子をお苦しめなりました」 親子して何やってんすかね(笑) 父である景行天皇が妻にしたがった美女をこっそり自分の女にし、ばれたことが後ろめたく て食事に出て行かない大碓もせこいし、自分の想い人を息子にとられたことを知って、関係 のない「身代わりの女」を苦しめる景行天皇もむちゃくちゃせこい。 さらに、大碓に直接文句を言わず、弟の小碓に「言い聞かせろ」と命じるあたりも非常にせ こい感じがする。大碓が怖いんすかね? そして、小碓が大碓をボコったことを知ると、小碓を怖がって、自分に従わない豪族を倒し に行かせるのがもう……死ぬほどせこい!!!!! 「よく言って聞かせてやれ」と言われて、ボコボコにする小碓の方が、私はずっと好きです。 まぁ……困った奴ではありますけど(^^ゞ 三野の国とは美濃のことですから、現在の岐阜あたりでしょう。 ここ猿投神社からは距離がありますが……何かあったのかな。 ともかく。 「薦につつんで投げ捨てた」のが、「猿投」の社名の由来なのかなと思う次第です。 あるいは「左投げ」の可能性もあるのでしょうか。 双子の片方が左利きであるという信仰は、双子がお腹のなかで手を握りあってると考えられ ていたとか、何か理由があるのでしょうね。 それにしても、手足を折られて薦に入れられて投げ捨てるというのは、罪人を思わせます。 高野山にある万丈転は、高野町教育委員会の案内板によれば「山内で罪を犯した者の手足を 縛り付け、簀巻きにして崖下へ追放した」と伝わる場所。 まさに、大碓の状況ではありませんか? 罪人だよねぇ……。 その罪人を祭神とする神社。 経緯が気になります。