shigoto

薩都神社

satto






  祭  神:立速男命(速経和気命)
  説  明:境内案内板を引用します。
      「上古立速日男命松沢の松樹に降臨し給ふ。当時里家に近くして不浄多く、祟り甚だ厳格なり。里
       人畏敬して、延暦七(788)年社を建てて祀る。邑人朝廷に奏請せしところ、片岡の大連を派遣、
       祭事を厳修『穢の多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ』と祷告せられ、神聴き給ひて延暦十九(800)年
       賀毘礼の峯に上り給ふ。(常陸国風土記)
       而して賀毘礼峯けはしく人々参拝に苦む、よって大同元(806)年平良将仕へ祠を小中島に奉還
       す。
      (社殿篠崎筆記三年に作る)
       承和十三(846)年九月勲十等薩都神に従五位下を授く。(続日本紀)貞観八(866)年五月正五
       位下を授く。同十六年十二月従四位下を授く。(三代実録)神名帳久慈郡薩都神社(延喜式)
       常陸太田城主藤原通延の子通成佐都宮に住し、その子通盛小野崎の地に居住、佐都荘を納め、代
       々祈願所と定め、一族又氏神と仰ぐ。
       正平年中佐竹左近将監義信本社を修造(本社縁起)
       いにしえより、福島境、旧里美邑徳田迄の総鎮守、永正以降佐都郷三十三ヶ村の総鎮守なり、大
       永二(1522)年佐竹右京大夫義舜更に今の地に遷す(社伝)
       毎年九月神入四間御岩の山に入る。すなわち賀毘礼の峰なり。明年四月出でて本宮に還る。因て
       時に従って例祭を修(篠崎筆記)
       慶案元(1648)年将軍徳川家光圭田五十石を供す。除地十三石九斗四升三合を享く。
       延喜式内常陸二十八社の一、久慈郡七座の内二の宮と称え奉り官社に預かる。明治六年六月郷社
       に列格、明治四十年四月十日供進指定。
       昭和二十七年六月十六日宗教法人設立
       神跡
       松沢松樹(今松崎と云ふ 延暦七年創祀の地 常陸太田市瑞竜町
       賀毘礼峰(御岩山 日立市入四間町 延暦十九年遷座の地)
       小中島(大同元年 賀毘礼山より遷座平良将建立の地 当腸内))」
  住  所:茨城県常陸太田市里野宮町1052
  電話番号:
  ひとこと:「不浄多く」というのが、村人が立小便をするっていう話なんですよね(^^ゞ
       夜刀神と同じように、大和朝廷にまつわらない人々が、山の上に追いやられたという話だと思う
       のですが、誰もいらっしゃらなかったので、聞けませんでした。

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