祭 神:武甕槌命 (配祀)天兒屋根命 經津主神 姫大神 説 明:境内案内板を転載します。 「当積田神社は又の名を積田の宮と云はれ、人皇四十八代称徳天皇の御宇神護景雲元年(七六七) 丁未六月二十一日、鹿島大神(武甕槌命)が、常陸国加島(茨城県現鹿島神宮)より大和国春 日大社(奈良)に御遷幸の途次、数ヶ月の間、滞留あらせられた。 古書には伊賀の国、名張郡夏見郷、御成の宮或は宇成神社とも書かれてある」 住 所:三重県名張市夏見2162 電話番号: ひとこと:元春日と呼ばれる神社はたくさんありますが、ここ積田神社は、春日大社の奥宮ともされてい ます。 タケミカヅチに関する遺跡も二つ。 一つは鏡池。 「私達の守護神であります、当地氏神積田神社の起源は古く、今から千二百年前といわれていま す。 積田神社の主神武甕槌神が常陸国鹿島より、この伊賀の国夏見郷に御大罪せられた所、『御座 跡現在寺田病院裏』より一ノ瀬川『現在比奈知川』をお渡りなされる時に、この地にお立ち寄 られ、わが姿が水面に映られたので、鏡池と名付けられたと伝えられている。その後、積田の 宮において、毎年祈年祭、宮籠出穂祭、秋季例祭の翌日、鏡池祭が行われ、大祭の御饌に用い たる装束祭具等を他頭の森の中に納め、折懸樽と称し、竹の節間を曲げて作りしものに神酒を 奉り、祭典を行う。 又当鏡池は奈良猿沢池の水質と同じであって、当池が濁ると猿沢池も濁ると伝えられている」 と説明があります。 つまり、奈良の猿沢池とつながっているくらい、春日大社とは縁が深いということでしょう。 そしてもう一つは神柿。こちらは、 「御遷幸の際、鞭とされた書きの枝を衝き立てておいたのが根づいたといわれている」 と説明がありました。 名張と言えば、天武天皇の娘であり、実質的な初代斎宮でもある大伯皇女が建立した夏見寺も あります。 天武朝にとっては、非常に重要な場所だったんじゃないでしょうか。 日本書紀は、天武天皇が編纂を計画し、持統天皇や元正天皇らが引き継いだと考えられます。 春日大社の建立は藤原氏の考え……ということは、元春日に残る伝承は、天武天皇ではなく、 天智天皇の思いが強く残るのかもしれません。 そうであれば、天武天皇というより持統天皇の思いが強く反映されているかも。 でも、大伯皇女は、天智&持統より、天武天皇寄りだろうなぁ……。 彼らは名張、特に夏見あたりに「なに」を置いたのでしょうね。