祭 神:猿田彦命 相殿:大宮比賣命 天照皇大神 豊受大神 祭神不詳二座 説 明:境内案内板を引用します。 「往古の御鎮座で、『天照皇大神御降臨記』にある志摩国多古志宮の旧跡であり、外宮の流れを 汲む渡会神道と深い関係がある。 創建年代など不詳であるが、社伝によれば仁治年中(1240年)官符を賜り興国、慶長、元和年 間に諸方よりの寄進帳があったが安政年間の津波で流失したという。また、紀州徳川頼宣僕の 御入国(1619年)の際には、神領として三石が下し置かれ、更に享保九年(1724年)には『禁 殺生』の石碑が寄進された。 明治初年、神社に社格が制定された際には郷社(明治八年十二月)に列せられ、同三十九年に は神饌幣帛料供進社に指定された。 絵馬殿には百人一首や天岩窟にまつわる額が奉納されている。 参道沿いには猪ノ目入りの灯篭、本殿裏には磐座や化身とされる猿神石があり、祭祀の跡が偲 ばれる。 加藤家は創立以来の世襲神主である」 住 所:三重県度会郡南伊勢町河内字宮山 電話番号: ひとこと:猿神石および社伝は宮山の頂にありました。 真夏の登山はキツい(^^ゞ 渡会氏も謎の一族ですよね。 伊勢神宮の神官家ですが、本来は猿田彦命を祀っていたらしい雰囲気。 『先代旧事本紀』の巻第三には、饒速日の三十二防護の神の一柱として、 「天の牟良雲の命 渡会の神主たちの先祖」 が登場します。 天の牟良雲……「あめのむらくも」ですよね。 素盞嗚尊が八俣大蛇を退治したとき、首から出てきた剣と同じ名前です。 時代が下ってこの剣が大和武尊に渡ると、草を薙ぎ払って火を消し止めたことから、「草薙剣」 と名前を変え、熱田神宮に祀られています。 とすると、どうやら日本の礎に深く関わっているらしいんですが、その全容はまったくの謎。 猿田彦命と同様、あんまり軽々しく言いたくない神様な気がします(^^ゞ