祭 神:物部韓国連神津主命 説 明:兵庫県神社庁のサイトからご由緒を転載します。 「社伝によると推古天皇25年(617)12月、物部韓国連神津主命が城崎郡司となり、 その父・物部韓国連墾磨命を墾谷丘の物部の宮に祀った。 天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ) 命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称し たという。 よって重浪は、敷浪(しきなみ)の転訛ということになる。 一説には、往古は湖水滔々として、社近くまで水に浸り、浪が寄せていた場所 と云われ、境内に御船岩のある由縁とも。 この御船岩は磐境であり祭神が天降りましし時、ここに船を繋いだという。 よって、この磐を天磐船と考え、但馬国造の祖である饒速日命を祭神とする説 もある。」 住 所:兵庫県豊岡市畑上843 電話番号: ひとこと:物部韓国連といえば、呪術師の韓国広足が有名ですが、彼は7~8世紀の人物で、 役小角に師事したとされますから、この神社のご祭神は彼の先祖にあたる人物 かもしれません。 とはいえ、呪術の家系ですから、神津主もやはり呪術師だったのでしょう。 神津主の息子にあたると考えられる久久比は、多分「くくひ」と読むのでしょ うね。 くくひは大きな白い鳥。 垂仁天皇の息子であるホムチワケの魂は、白い鳥になって空を翔けました。 この名前にもまた、呪術の匂いがする。 水の気配が強い神社でした。