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志呂神社

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志呂神社御供






  祭  神:事代主命
  説  明:岡山県神社庁の説明を転載します。
      「本神社は、美作国が備前から分国した和銅6年(713)に弓削庄27カ村(現在の建部町、久米南町)の総氏神と
       して祭られたと伝えられている。古くは神主他20名余が奉仕し、社領は70石を有していた。又、神宮寺もあっ
       たと伝えられている。本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋
       造妻入。また、旧県社で祭神に事代主命を祭っており、各所に彫物を配した近世末期嘉永元年(1848)再建)の優
       れた神社建築となっている。(昭和38年町指定文化財)
       志呂神社御供(ごくう)(通称京尾御供)は、志呂神社の神田地であった久米南町京尾「慶安年間(1648~1651)
       ここ下神目村から分村、地名京尾は、御供の供納からきたともいわれる。」で作られる熟饌で、10月20日の例
       大祭に供えられる。御供は、一台の三方に(ふと3個、まがり1個、丁銀3個、米飯1盛、柚子1個、箸1膳)が
       盛られ7台供えられる。「ふと」と「まがり」は、叩粉と呼ぶ米の粉を蒸して作った団子のことであり、丁銀は餅
       で作られている。その製法や形などに昔の生活や信仰などが偲ばれる。(昭和32年県指定重要民俗資料)
       三樹山は、鎮守の森としてこれまでほとんど人手が加えられることはなく、自然の推移にゆだねられてきた。この
       ため、シイノキ、ヤブツバキ、シリブカガシなど原始的な植生型に近い常緑広葉樹が育っており、郷土の自然を知
       るうえで貴重なところである。このような常緑広葉樹林では、四季を通じて厚い葉っぱに被われており、林外にく
       らべて気温の変化や温度の変化が少なく、冬の寒さをきらう南方系と夏の暑さに弱い北方系の動植物が同居するめ
       ずらしいところである。(昭和51年県指定郷土自然保護地域)
  住  所:岡山市北区建部町下神目1834
  電話番号:
  ひとこと:中山神社とゆかりがあるのではないかという話がありまして。
       もう20年近く前に、「こんな口コミがある」と聞いただけなのですが、いわく、
       
       社名の由来は“二匹の犬”の名前にある、という伝説がある。
       中山神社の由緒において、物部肩野乙麿を退治したのは“中山大神”本人ではなく、その部下の“シロゴロウの神”
       とされており、この神を祭る“贄賂ゴ(ケモノ偏に吾)狼神社”も、かつて中山神社境内にあった。
       志呂神社側の伝承では「シロゴロウの神とは、シロウとゴロウという二匹の犬で、このシロウから社名が取られた」
       
       この噂を聞いた当時は、いわゆる「神社紹介サイト」が林立していた時代で、それに対して、いろいろな人が、
      「地元の噂では」
       と、玉石混交、真偽不明な噂話をメールで送ってくださったものなのです。
       
       それで今回、気になってお参りしたのですが、いや、雰囲気のある神社だと思った。
       
       ブトとマガリは、人身御供の代わりとするっていう話もありますしね。
       いろいろと気になります。
       
       御供の写真は、案内板にあったものです。

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