祭 神:宇迦御魂神(稲荷神) 誉田別尊(八幡神) 説 明:案内板を転載します。 「山紫水明の古き良き城下町松江は、慶長十六(1611)、武将堀尾吉晴公の築城とともに 誕生しました。 堀尾公が亀田山に築城の際、この地にあった若宮八幡宮を守護神として祀り、次いで松 平氏の世となり、初代直政公が来封されると、藩内の平穏を祈って稲荷神社を創建され、 若宮八幡を合祀して『御城内稲荷八幡神社』と称し、社領を寄進し、祭祀、遷宮などす べて藩費をもって格別鄭重におまつりされてまいりました。広大な御神徳は出雲一円に 深く浸透し、平和な繁栄の中に人々皆神を敬い、人情麗しく誠実勤勉の気風を養って、 今日に及んでいます。 かの十年目毎に行われます、当社の式年神幸祭『ホーランエンヤ』は、神輿船を中心に、 剣櫂踊りと采振り踊りを乗せた五艘の櫂伝馬船をはじめ百艘にも及ぶ大船団で出雲郷ま で御神幸。翌日から七日間にわたる繁栄祈願を行い、九日目に御遷幸になる祭典で、日 本三大船神事の一つといわれる大盛儀でありますのも、御神徳を物語るものであります。 当社本殿の彫刻をはじめ、数多い宝物はすべて旧藩時代の帰蝶な文化財であり、中でも 松平直政公初陣の甲冑、松平宗衍公の大字筆額、松平不昧公筆額、巻物、名工小林如泥 作の神狐などは特に有名であります。 今も境内に遺る石狐は、明治年代迄は数千体もあり、文豪小泉八雲(ラフカディオ・ヘ ルン)は、堀ひとつ隔てたところに住んでいましたので、よく当社に参詣し、珍しがっ て鑑賞したといいます。彼の著書には当社の伝説などが諸所に書かれており、興味をひ かれた神札は、大英博物館へ送ったりしています」 住 所:島根県松江市殿町477番地 電話番号: ひとこと:私は、誰かに憧れるとかあんまりないのですが、小泉八雲には憧れます。 彼が東京帝国大学の英文学講師として教鞭をとったのは有名ですが、生徒たちから絶大 な指示を受けていたことまで知る人は少ないかもしれません。 後任の夏目漱石が「話にならない」と排斥運動まで起こされているほどです。 八雲の講義は、詩を読み上げるような熱さだったと言いますが、それは彼の文章を読ん でもわかる。 訳文だから、原語ではどうなのかわかりませんが、胸にこみあげてくるものがあるんで すよ。なんと言ったらよいのかな。 八雲本人の気高さや志の清らかさが胸に迫ってくる。本当に美しい文章だと思います。 そんなわけで、出雲旅行の前に『神々の国の首都』を読み返そうと思ったんだけど、見 つからなくてですね(´-ω-`) この神社にお詣りしたのは、八雲とまったく関係のない理由。 松江城の公式サイトの説明でした。 まんま引用しますね。 「1638年に信州松本藩から移封になった松平直政は稲荷への信仰が厚い人だっという。直 政の移封直後、夢枕に美しい少年が立った。少年は「私はあなたが松本で厚く祀ってく れた稲荷の化身です。あなたと共に松江にやってきましたが住むところがありませんの で作ってほしい。作ってくれた暁には、あらゆる火事から松江を守って差し上げます」 と告げた。このお告げを実行して、直政は城内にすでにあった八幡社に稲荷を合祀した 「御城内稲荷八幡両社」を建立した。現在も城山稲荷神社として市民や観光客に親しまれ ている。」 美少年の稲荷神に惹かれたんです(笑) 境内には数百体……八雲の時代の1/10以下かな……の石狐が並んでいて、朽ちかけては いるのですが、愛らしい。 御城が開く前に訪れたんですが、次々地元の方がお詣りしていました。