祭 神:天目一箇神 表筒男命 中筒男命 底筒男命 氣長足姫命 大山咋神 説 明:白水社「日本の神々(山陽・四国)」から引用します。 「源を遠く北摂の山地に発する東条川(風土記の椅鹿川)は、西流して加古川 の本流に到るが、その流域には後期古墳の群集が多く、この川に面して鎮座 する当社の周辺も例外ではない。 当社は、大和国添下郡と近江国蒲生郡に所在する菅田神社と同じく、古代の 製鉄氏族菅田首の同族が、その祖神と仰ぐ天久斯麻比企都命(天目一箇命) を奉じて此地に来たり住み、創祀したものといわれる。ちなみに加古川の上 流域は古代から砂鉄の産地であり、製鉄・鍛冶関係の遺跡や地名も多く、天 目一箇命を祀る古社が点在する(天目一神社、荒田神社、青玉神社)。 当社ははじめ菅田字南垣内にあったと伝えられ、その旧地をいまも宮山と呼 ぶが、数年前、農業用水路をつくるため宮山の一部を掘ったところ、多数の 瓦片・土器が出土したという。後年、氏子の増加に伴う居住地の拡散ととも に、まず保安年間(1120〜24)に社地を現在地に移し、別に東条川北 方の中番へ分霊して住吉神社をつくり、さらに大治元年(1126)に、西 方の久保木へも住吉神社として分祀した。なお中番への分祀は、同年の霜月 二十五日に行われ、いま菅田橋の橋脚を支えている巨大な『亀石』の上で、 分霊と神宝が引き渡されたと伝えられる。村人たちは今もこの岩を、『神体 岩』と呼んでいる。 菅田神社の祭神は、天久斯麻比企都を主神として、加東郡内所在の住吉神社 に通例の表筒男命・中筒男命・底筒男命および息長脚姫命を合祀する。中番 の住吉神社も同様である。(後略)」 住 所:兵庫県小野市菅田町568 電話番号: ひとこと:菅田氏と製鉄の関係は、大和郡山市の菅田神社に伝わる「小狐丸」の話しか らも、伺えます。 大和郡山市の伝説を、再度引用しましょう。 「八条の庄屋に、ひとりの乳母がいて、いつも子供の守をして、付近の土山で 遊んでいた。この土山には、親子の狐がいて、いつもここへくる乳母とは心 安くなっていたが、不幸にも、親狐は、仔狐を残して死んでしまった。乳母 は、これをたいへん哀れんで、仔狐を庄屋の子と乳兄弟にして育ててやった。 小狐は成長して必ずこの恩を返すことを誓った。 庄屋の子どもも成長して、親のあとをついで庄屋になった。そのころ、藩主 の命令により、この村で嫁取り大蛇を退治せねばならぬことになり、抽籤を して、庄屋がその籤にあたった。庄屋は大変心配をした。 狐は今こそ御恩返しの時がきたと思い、夜半勅使の大行列を作って、石上神 宮に練り込み、御用だといって神剣を借り出し、その威力により、めでたく 大蛇を退治してしまった。」 ここでは、神剣の名を「小狐丸」としています。 剣と製鉄の取り合わせは、なんの不思議もないでしょう。 でも、製鉄と蛇の関係を考えるとき、「敵対」なのか「和合」なのかと考え てしまうのです。 奈良県は高鴨神社のご祭神、アジスキタカヒコネの神は、雷の神であり、蛇 の神でもあり、そして同時に製鉄の神でもあります。 宮司さんは、 「昔の人たちは、雷による電気分解で、土壌が肥えると知っていたのでしょう。 だから、畑に鉄杭を打ち込み、雷が落ちるような細工をしたのです」 とおっしゃってました。 雷……稲妻を蛇に見立てることは、なんの不思議もありません。 しかしそれならば、蛇は鉄を好むはずです。 でも、多くの昔話では、蛇は鉄を嫌います。 蛇の嫁にされてしまった娘が、小さな針で蛇を退治する話しは、珍しくあり ません。 今昔物語でも、針を刺されてしまっただけで、 「もう俺はダメだ」 と嘆く蛇の話しが出てきます。 でも、反対に、おとぎ草紙の「天稚彦物語」では、蛇の姿になっていた天稚 彦は、ハサミで首をちょん切ることにより、元の美しい男性の姿に戻ってい ます。 つまり、ハサミ……鉄は、蛇の姿から神の姿に戻るための呪具とされている わけですね。 鉄とはいったい、どんな力を持つ金属なのでしょうね? さて。 製鉄と蛇の関係はある程度見えたとして、そこに狐がどう絡むのかと思いま せんか? 検索していたら、興味深い記事を見つけました。 「一本だたらと狐の足跡」 このサイトの作者が引用しておられる、足跡図鑑を見ると、確かに、狐の足 跡は、一本だたらのものと見間違いそうです。 前足と後ろ足の足跡が重なるため、一本足に見えるのだそうですが、それに しても見事なぐらい、重なってますね。 一本だたらとは、製鉄の神。 一本足で、かつ一つ目とされています。 そう、つまり、天目一箇命=天久斯麻比企都命と非常に関係が深いのです。 ということで、狐と鉄にも繋がりが見えてきました。 そうであれば、狐と蛇の間には何かあるのでしょうか? 実は、狐が人に化けて、鍛冶を助け、名刀「小狐丸」を打たせたという話が 能にあります。 それが、能「小鍛冶」。 このときに使われる狐の面を「狐蛇(きつねじゃ)」とよぶらしいんですね。 能面で「蛇」の名がつけられたものは、疑いの心を内面に持つもののようで。 小狐丸を打たせた狐は、 「狐だとバレてないかな?」 という疑いが、「蛇」に繋がるのかもしれません。 なんにせよ、鉄、蛇、狐の間には、どうも重厚な絡みがあるように思えてき ました。 さて。 この地、小野市菅田町は、古くから製鉄の地であったらしいとあります。 ですから、製鉄の民であった菅田氏が、この地へやってきた理由はよくわか ります。 でも、いったい全体、どこからでしょう? 大和郡山から? それとも、ここから大和郡山へ移動した? 私は後者だと思います。 民族の流れは、西から東へ向かうものがほとんどだったと思いますので。