祭 神:伊邪那美命(東本殿) 伊邪那岐命(御本殿) 大穴牟遅命(御西殿) 説 明:ご由緒書を転載します。 「洲原神社は、今より約一千三百年前、元正天皇の御代養老元年に(西暦七一七年)、越前国足羽郡 麻生津村、神職三神安角の次男泰澄が加賀国白山の絶頂で厳かな修験行うていられた時に、霊夢を 感じ、其の状を具さに、天皇へ奏上されたので、元正天皇より泰澄に斎鎮の勅命下り、股当社御造 営使として、伴安麿に御剣一口と封戸若干、従者二人に甲冑を添えて下し賜う。養老五年五月、実 に宏大荘厳な御社殿が御造営の工を竣え、勅を奉じて泰澄が御祭神をお祀り申し上げたのでありま す。 当社古来『正一位洲原白山』とも称え奉り、洵に御由緒深い大社であります」 「往古の信仰 養老六年八月元正天皇御悩の際、泰澄に命じ当社へ御平癒を祈らせ給い、又聖武天皇の天平八年、 国々に疱瘡まんえんして都鄙この災いにかかるものが多かったので、泰澄に命じて当社に祈らせ給 うたことがあります。後醍醐天皇の御代に、賊将尊氏が京都へ乱入した時、新田義貞を奉じて、越 前進発の際、弟の脇屋義助、密に使者を当社に参らせて、宝祚の無窮、玉体安穏、朝敵降伏の祈願 を厳修されたことがあり、又近世に入っては、織田氏、豊臣氏、徳川氏の信仰も深く、徳川二代将 軍遺例の際に、病気平癒祈祷や、尾州藩では特に当社を寺社奉行の直配の下におき、尾州藩十社家 の一にして、毎年御領内の五穀豊穣祈願を厳修の上、又尾州藩六十五万石の御蔵札を当社より拝受 するを例としておりました」 住 所:岐阜県美濃市須原468‐1-1 電話番号: ひとこと:白山神社の元宮ともいわれる神社です。 とすれば、ご神体は白山かなぁと思うのですが、正面を流れる長良川には「神石」と呼ばれる、い かにも何かありそうな大石があるし……。 背後にある鶴形山もなんかありそうでしょ? さらにその山腹には磐座らしきものが。 う~ん、何を祀ってるんでしょう(^^ゞ しかも、菊理姫はいらっしゃらないんですよ。 謎です。