祭 神:天之御中主神 安徳天皇 建礼門院 二位の尼 説 明:境内案内板を引用します。 「嘉永四年三月壇ノ浦の合戦の後、女官按察使局伊勢(のち千代と改む)が筑後川畔鷺野に遁れて初 めて水天宮を祀る。 時に建久初年と伝う。 その後諸処に移転し、慶安三年九月藩主有馬忠頼公が社地社殿を寄進して、現在の所に遷し奉る。 此処は古の鷺野ケ原の故地にして、これより神威弥益に輝き、水徳の神として水難、安産、火災、 疫病、除災の霊験を以て知られ、海運、豊漁、商業の信仰篤く又、子供の守護神として筑肥一円の 民は春大祭に子供を参拝せしむる習慣がある。 当社は往時全国唯一の禁裏ご祈祷所に仰付けられた名社にして全国水天宮の総本宮である。東京の 水天宮は藩主有馬頼徳公のとき文政元年ここから江戸にご分霊したもので、その全国所在の水天宮 は皆当社を本宮とする分霊社である。かつて国軍隆盛を極めし頃、水上母艦千歳の守護神として艦 内神社にご分霊を奉祀せられた事も当時郷土の誇りであった。因みに五月五、六、七日の春大祭川 祭りは門鉄の管内三大行事として喧伝され八月五、六、七日の夏祭奉納花火は筑後花火の揺籃であ る。 境内には明治維新の先覚者前大宮司贈正四位真木和泉守保臣の命を祀る真木神社、水天宮の創建者 按察使局を祀る千代松神社がある。 河童発祥地としても有名である。」 住 所:福岡県久留米市瀬ノ下町 電話番号: ひとこと:安徳天皇といえば、壇ノ浦で幼い命を散らせた悲運の天皇として知られます。 建礼門院はその母、二位の尼は祖母。 平家物語によれば、二位の尼は「海の底にも御殿がありますよ」と幼い孫に言い聞かせ、海の底へ と沈んだと言います。 入水自殺した人を、水運の神として全国的に祈るのは、日本人独特の感性でしょう。 小泉八雲は、『赤い婚礼』の中で、心中したカップルを恋の神にする日本人には「永遠の苦悩の 宗教」があると書いています。 美しい……。 私はこの感性が、大好きなんです。