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多賀大社

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  祭  神:伊邪那岐大神 伊邪那美大神
  説  明:ご由緒書を転記します。
      「ご由緒
       多賀大社が初めて文献にみえるのは、和銅五年(712)に撰上された『古事
       記』で、『伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐ます』とあります。
       社伝によると、神代の昔伊邪那岐大神はご本社当方の杉坂山に降臨され、麓の
       栗栖の里でお休みの後、多賀にお鎮まりになったと伝えています。
       奈良・平安時代には公家の信仰篤く、鎌倉から江戸時代には武家からも信仰を
       集め、その祈願文や寄進の品が数多く残されています。奈良時代から広まった
       神仏習合は明治初期まで続きましたが、多賀大社では明応三男(1494)天
       台宗の不動院が創建され、以下観音院・般若院・成就院の坊人等の活発な布教
       により『多賀信仰』が全国展開することとなりました。
       大正三年(1914)には、皇祖天照大御神の御親神にましますことや、崇教
       が全国に及ぶことなどから官幣大社に列格されました。
       現在の本・拝殿等は昭和七年に大造営されたもので、全国多賀社の総本社とし
       て荘厳優美を誇っています。
       ご神徳
       伊邪那岐・伊邪那美二柱の大神は天つ神から『この漂へる国を修理(つく)り
       固め成せ』との詔をいただかれ、初めて夫婦の道をひらき、この大八洲国(日
       本)や多くの祖神をはじめ自然界すべての物をお造りになり、さらには天照大
       御神をお生みになられました。
       二柱の大神が行われた『国生み』の大業は我が国全ての源であることから『寿
       命の神様』又、ご夫婦の道をひらかれたことから『縁結びの神様』としての信
       仰が生まれました。
       莚命長寿のご霊徳を伝えるものとして、俊乗坊重源上人の逸話は有名です。
       後白河法皇より、平重衡によって焼失した南都東大寺復興の命を受けた上人は、
       すでに齢六十を過ぎておられました。
       この大事業成就のため当社に十七日間参籠してひたすら筵命を祈ったところ、
       満願の暁、柏一葉が上人の前に舞い落ちてきました。みれば『筵』という字の
       虫喰いがありました。
       草冠は十を二つ並べて書くことから、上人は二十年の寿命を授かったと歓喜し、
       建久六年勇躍大仏殿再建を成し遂げました。
       爾来、お多賀さんは、『筵命長寿』の神様として、いよいよ広く篤い信仰が寄
       せられ、全国津々浦々からの参詣が絶えません。」
  住  所:滋賀県犬上郡多賀町
  電話番号:0749−48−1101
  ひとこと:お多賀さんと言えば、長寿の神様として有名ですよね。
       ただ、それが伊邪那岐大神・伊邪那美大神によるご神徳というよりも、ここ、
       多賀に、何か長寿と関係の深い夫婦神への信仰が、古くから、古事記よりもず
       っと古くから息づいていて、それが後に、夫婦神という繋がりから、伊邪那岐・
       伊邪那美大神信仰と結びついたんじゃないかな、と感じたのですが、それは、
       私の勝手な感覚でしかありません。

       ただ、御伽草子によれば、お多賀の大明神とは、なんと、物くさ太郎のことだ
       ということになっています。

       物くさ太郎と、三年寝太郎をごっちゃにしてしまっている人は多いと思います
       ので、ちょっと説明しておきましょう。

       まず、三年寝太郎の話。
       これは、ぐうたら息子が、親に泣かれ、一計を案じるという話です。

      「働かないからお嫁さんも、もらえない」
       と親に泣かれた寝太郎は、
      「よっしゃ、任せとけ」
       と、白鷺を買ってきて、それを飾りつけ、隣の金持ちの家に乗り込みます。
       木の上に潜んで、夜を待ち、
      「私は神である。隣の三年寝太郎を娘婿にしないと怖いぞ」
       と大声で怒鳴ります。
       んでもって、白鷺を飛ばす。
       鳥は夜には目が見えないつぅのに、白鷺にとっては大迷惑な話ですが、元来が
       素直な質の金持ちは、白鷺を見て、寝太郎を娘婿にすることが神のご神託だと、
       すっかり信じ込んでしまうんです。
       そして、早速次の日、寝太郎を婿として迎え入れました。
       寝太郎は、しめしめ。
       親も大喜び。
       めでたしめでたし。

       まぁ、呑気で天晴れな話ではあるんですが、どうもこう、教訓になりようがな
       い話ではありますよね。

      「ごろごろして、人を騙した人間が幸せになるんだよ」
       って・・・ねぇ(^^ゞ
       私は好きですけどね(笑)

       それに比べると、物くさ太郎は、ものぐさとはいえ、それなりに働きます。

       ものぐさではあるけれど、
      「長夫として働いてくれ」
       と言われたら働きに出、
      「奥さんが欲しければ、ナンパしてみたら?」
       と薦められたら、ナンパに行きます。

       つまり、ものぐさだったのは、誰からも何も命令されなかったし、何かしたい
       という欲もなかったからなんですね。
       そこらへん、「樽の中の哲学者」ディオゲネスを彷彿とさせるものがあります。

       話がわき道にそれますが、このディオゲネスとは、「物事にこだわらない」と
       いう姿勢を貫いた人で、樽と木で出来た器しか持っていなかったそうです。
       樽は、その中に住むために、器は水を飲むために使っていました。

       ある日、水を飲もうと川に器を差し入れたところ、ふと手が緩み、器を流して
       しまいます。
       慌ててそれを拾い上げようとして・・・。

      「いけない。俺はまだ、こだわっている」

       と、器を流すに任せ、手で水を汲んで飲んだ。
       そういう人です。

       時めく権力者・アレキサンダー大王に、
      「何か欲しいものはないか?」
       と聞かれて、
      「あんたがそこにいると、影になるからどいてくれ」
       と答えた人です。
       つまり。
       ものぐさ野郎なんですよ(笑)

       まぁ、ディオゲネスは、自分の意志・思想によって、「こだわらない」ことを
       貫いたわけですが、ものぐさ太郎の場合は、ただただたまたま「こだわらない」
       性格だったわけで、「奥さんが欲しい」なんていう欲が出れば、行動も起こす
       わけですね。

       ただ、それまでがものぐさだった男のこと、
      「働いてくれ」といわれて働き者に変身したものの、
       誰も「おしゃれになってくれ」とは言いませんから、姿恰好は相変わらずの、
       ものぐさ仕様。
       ナンパが成功するはずもありません。

      「お、いい女♪」
       と声をかければ逃げられる。

       ものぐさ太郎の方も、そこそこの女ならば、逃げられた時点で追いかける程の
       熱も入りません。

       しかし、
      「なんとしても妻にしたい」
       そう思うほどのいい女なら話は別です。
       つきまとう、付き纏う。
       しつこく言い寄り、住所を聞き出し、押しかけるんですね。

       ここでこんなにしつこいんだから、その場逃れに住所なんか教えたら、もっと
       しつこく付き纏われるのは目に見えてますよね。
       なのに、女性は、ものぐさ太郎に、本当の住所を教えました。
       なぜ?

       実は、彼女は、直接はっきりと自分の所在地を教えたわけではありません。
       彼女の答えはこうです。

      「思ふなら とひても来ませ わが宿は からたちばなの 紫の門」

       つまり、
      「そんなに会いたいなら、こういう門の家を探せ」
       と、太郎の熱意を、試しているわけですね。

       しかもその前に、こんなやりとりが繰り返されています。

      「わらはが候所をば、松のもとといふ所にて候」
      「心得たり。明石の浦の事」
      「ただし日暮るる里に候ぞ」
      「鞍馬の奥はどの程ぞ」
      「是もわらはがふる里よ、ともし火の小路をたづねよや」
      「油の小路はどの程ぞ」
      「是もわらはがふる里よ、はづかしの里に候よ」
      「しのぶの里とはどの程ぞ」
      「これもわらはがふる里よ、うはぎの里に候」
      「錦の小路はどの程ぞ」
      「化粧する曇りなき里」
      「鏡の宿はどの程ぞ」 
      「秋する国に候よ」
      「因幡国にはどの程ぞ」
      「これもわらはがふる里よ、二十の国に候よ」
      「若狭の国にはどの程ぞ」

       つまり、この女性が出す謎かけを、太郎は次々と解いてしまっているわけです
       ね。           

       この時点で、「知能テスト」は、パスしたのでしょう。

       そして、太郎が女性の家にやってくると、また謎かけ。
       即答。

       もはや逃げることはできまい、とこの女性は、太郎を風呂に入らせます。

       するとびっくり。
       垢の中から表れたのは、清々しい色男だった、というわけです。
       ほんまかいな(笑)

       まぁ、そんなこんなで、調べてみれば、ものぐさ太郎は、深草天皇の第二皇子
       のご落胤であった、ということがわかり、大出世、というできすぎた結末。

       そして、ものぐさ太郎は、長生きの神様と仰がれ、「おたがの大明神」と表れ
       ましたとさ。
       そして、その奥さんは、「あさいの権現」となられました。

       ・・・ただし、この「おたがの大明神」には諸説あり、そのまま「お多賀の大
       明神」とするムキもあれば、「愛宕の大明神だ」とおっしゃるムキもあるよう
       で、はたまた「穂高の大明神だろう!」というお話もあるそうですが、「長寿
       の神」&「夫婦神」繋がりということで、多賀大社との関わりが全くないとも
       言えないように思うのですが、どうでしょうね。

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