祭 神:高千穗皇:天津彦彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火火出見尊 豐玉姫命 彦波瀲武鵜葺草葺不合尊 玉依姫命 十社大明神:三毛入野命 鵜目姫命 御子太郎命 照野命 二郎命 大戸命 三郎命 霊社命 畝見命 浅良部命 説 明:ご由緒書を引用します。 「当宮は初め高千穂皇神と申し上げてこの地に宮居をさだめられた天孫ににぎ尊以下三代の神々 をお祀りし千百余年前の承和十年に従五位下、天安二年には従四位上の暗いを授けられたこと が六国史にはっきり記されており、日向国で一番位の高い神社でした。 神武天皇の御兄三毛入野命が高千穂に帰られ、神垣をたてて日向御三代の神々をお祭りされた のが初めで、その子孫が長く奉仕されたので後には三毛入野命の御夫婦と八柱の御子とを配祀 して十社大明神と申し上げました。後更に多くの神々を合祀しています。 社殿は十一代垂仁天皇の御代の創建といわれ、天慶年間豊後国から大神氏が来て三田井家を興 し十社大明神を高千穂八十八社の総社と崇めました。源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝 物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年たった今もの社頭に高くそびえています。文永、弘安の 役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願など古記録や宝物が多数残っています。 天正年間三田井氏が滅んで延岡領となり高橋、有馬、三浦、牧野、内藤と歴代藩主はそれぞれ 社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。 大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族が参っておられ、昭和四十六年七月一日には別表 神社(旧官国幣社)に列せられました。二千年に近い歴史を持つ当神社は古来、国家鎮護・縁 結び・厄除交通安全の神として、幅広い信仰をあつめております。」 住 所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037 電話番号:0982‐72‐2413 ひとこと:この神社を創建したとする三毛入野命のモデルは、どんな人物だったのでしょうね? 神武天皇の兄としているということは、朝鮮半島から渡来した、後着の侵略者の一人なのでし ょうけれど、神武天皇の兄の中で一番有名なのは、太陽に背を向けて戦ったため矢で命を落と した五瀬命でしょう。 高千穂峡には、鬼八の力石があり、 「三毛入野命は大和から再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、 この地を治めたといわれています。この時、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石 といわれています」 とあります。 鬼八。 阿蘇大神に殺されたと伝わる男と同じ名前ですね。 とすれば、阿蘇大神と三毛入野命には深いつながりがありそうです。 そしてたぶん、鬼八は先着の縄文人(隼人?)だったのかもしれません。