祭 神:須佐之男命 劔比古神 説 明:境内案内板から引用します 「由緒 延喜式(公家法制の書・全巻五〇巻)に、旧沼隈郡内で三座の一つとして挙げられ、全国でも数少ない 格式の高い延喜式式内社である。 中古には劔大明神と称され『水野記』によると、神辺城主忠興が古志豊清を攻めた際に炎上し、天文一 四年(1545)に豊清が再興し、また承応三年(1654)には福山城主水野美作守が社殿を再建し た。 現在の社殿は、大正二年に再建したものである。明治に至り、旧称の高諸神社に社名を復す。 伝承 天武天皇白鳳五年(676)新羅王子が戦乱を避けて日本に向かう途中、台風に遭難、今津の海辺に漂 着した。 今津の庄司田盛が新羅王子を助け、西の山上に御殿を建て、手厚く看病したが王子は翌年に没す。 次の年、正司田盛の夢枕に新羅王子が現れ、『我は須佐之男命なり。新羅の国王に降誕し、日本を慕っ てきた(祠を構え、我が佩劔を祀れ)』と告げる。 庄司田盛は早速この地に御宮を建て、劔大明神として祀った。 この佩劔が御神体であり、高諸神社を『お劔さん』と呼ばれ、今日まで一、三三〇余年連綿と続いてい る」 住 所:広島県福山市今津町6‐15‐10 電話番号: ひとこと:角川書店の『日本の伝説』によれば、新羅王子はうつろ船で流されてきたとあります。 うつろ船で流されてきた貴人が憤死し、祀られるというパターンは、秦河勝と同じですよね。 それが気になって参拝したのですが……。 う~ん、よくわかりません(^^ゞ