祭 神:天津彦根命 天目一箇命 石凝姥命 大己貴命 大屋彦命 説 明:境内案内板から、由来を引用します 「当社は、第十代崇神天皇の七ねん水穂具若王が勅を奉じてご創建あそばされた二千年の古社に して、延喜式内の菅田神社は当社である。成務天皇五年十月蒲生稲置管掌の地は、東北の境は 愛知川及伊勢地方、西は三上山から湖辺に及び、南は伊賀に至る地域であったという。三麿は 蒲生稲置中興の祖であり、知勇兼備、其の徳近江に洽く、欽明天皇六年綿向神社の社を造営し、 推古天皇十五年二月百七歳にて帰幽す。生前の徳を仰ぎて祖神の座に配祀す。 天智天皇七年五月、天皇当社に太刀打神事を行わしめ給ひ、奉幣を奉り給ふ。当社からは祖神 の造り給ひし剣一口、並に伝来の矛一本を献上せり。又、藤原鎌足公の命により朝日山より日 陰蔓を採り朝廷に献ず。これより御即位の大嘗会がある毎に献納するを例となす。 桓武天皇の延暦十六年坂上田村麻呂、当社に武運長久を祈り本殿を再建す。 寛仁元年三月後一条天皇、当社社殿をいまの地に造営し、ご造営の典を挙げてさせられ、勅使 藤原季忠を遣わし奉幣を奉り給ふ。 御冷泉天皇の天喜四年大神主頼俊、野部勘六に鋳物師統領職の綸旨を給ひ、第日本鍛冶鋳物師 の統領となる。 元歴元年源頼朝当社に使者を遣わし武運を祈る。 後鳥羽上皇、当社に御参籠あそばされ、野部、増倉と共に刀を打たせ給ひ、『今もなほみわざ ならひて剣太刀 打つべき人の祈る神垣』と御製を献じ給う」 住 所:滋賀県東近江市鋳物師町1020 電話番号: ひとこと:地名が鋳物師。 御祭神もバリバリ製鉄の神様ですね。 御由緒では、田村麻呂や源頼朝と征夷大将軍の名が連なりますが、さもありなんという感じです。 近所のブルワリーでお話を聞いたことによると、このあたりでは往古土地争いがあり、綿向神社 で鉄火裁判が行われたそうです。 鉄火裁判とは、争う二人がそれぞれに熱く焼けた鉄を手に受け、持ち運ぶのですが、やけどをし た方が負けになります。 この裁判では、綿向神社を三周したと言いますが、片方がやけどをしなかったなんて、あるのか なぁ(^^ゞ? 多分、逃げなかった方が勝ちなんでしょうね。 どちらにしても、「鉄」と関わりの深い神社です。