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玉作湯神社

tamatsukuriyu

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湯山遥拝殿






  祭  神:櫛明玉神 大名持神 少毘古那神
       (配祀)五十猛神 
  説  明:境内案内板を転載します。
      「この地は、古代において、勾玉や菅玉などを製作した場所であり、地域から玉類の成品や、玉
       を磨いた砥石などが多数出土している。
       この時代の工業関係の遺跡として、考古学上著名であるが、殊にいわゆる玉作部の遺跡である
       ことが明らかな点において、一段と価値の深いものである。
                  文部省」
      「湯山遥拝殿
       御祭神 湯山主命 御別名 大己貴神(大名持神)
       御祭日 十月十日
       湯山主命は玉作湯神社御祭神で、温泉守護・温泉療法・諸病平癒・その他守護神として往時よ
       り近里・遠郡をはじめ、地域住民の信仰篤く、古歌にも『湧き出る湯山の主の神湯こそ病を癒
       す恵なりけり』と詠われています。
       神社宮山に続く、現現玉造要害山は往昔には湯山と称され、その谷を湯谷と云うと、古書に記
       されています。この湯山の主は、湯山主命、即ち大己貴神御同神、大名持神(大国主命)であ
       り、湯山はその御神蹟として、今も広く景仰尊敬いたすところです。
       此度、平成二十四年は、御祭神の御縁深い古事記編纂千三百年、並びに出雲國風土記編纂上進
       千二百鉢中年に当たり、当神社御祭神の御神徳宣揚と湯山顕彰のため、遙拝殿を整備するとと
       もに、湯山の碑を建立し、併せて湯山の全容絵馬を献揚し、由来を記してここに顕彰申し上げ
       奉るものです。
             平成二十四年十二月」
       平成祭データから転載します。
      「一.玉作湯神社(内務大臣指定史蹟保存地)
       御祭神、櫛明玉神(八坂瓊勾玉並に宝玉御製作の祖神)、大名持神・少彦名神(当地温泉発見、
       温泉守護、温泉療法、薬、秘呪の祖神)、五十猛神(同社座、韓國伊太弖社、植林・殖産・産
       業振興の祖神)。
       玉作湯神社は、玉造温泉、玉造川東岸の小高い林の中に鎮座まします式内の古社であります。
      「貞觀十三年十一月神階従四位下を授く」と三代実録に見え、現今は此の地の氏神で旧県社であ
       ります。
       櫛明玉神は、天明玉、豊玉、羽明玉、玉祖神などの異称をおもちになって居て、天岩戸の前で
       神々のお計らいで神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた八坂瓊之五百箇御統玉は此の神
       の御製作であった事は、古語拾遺に明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地方に居住し、
       此の地の原石を採って宝玉の製作をお司りになったと伝え、日本書紀に「素盞鳴尊が天に昇り
       まさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎えて、瑞八坂瓊の勾玉
       を進め、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神に献上になった」ことが記され、社伝には三種神器の
       八坂瓊の勾玉は命が御製作になったものと伝えています。
       天孫降臨の際、櫛明玉命は随従の五部の神の御一人として、玉作の工人を率いて日向に御降り
       になり、命の子孫一族は所属の工人と共に出雲玉造郷に留まって製玉に従事し、其部の長たる
       櫛明玉命の薫督をお受けになったと云われ、古語拾遺に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の
       裔、今出雲國に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と記され、又同書に「櫛明玉命は出雲
       國玉作祖也」と見えています。
       社宝
       1.上代各種玉類184点(重要文化財)
       2.上代玉磨砥162点(重要文化財)
       3.上代ガラス製造ルツボ片と上代ガラス一括(重要文化財)
       二.玉造温泉
       玉造温泉は少彦名命の御発見と伝えられ、JR玉造温泉駅から玉造川に沿って上ること約2キ
       ロ、玉造郷にあって玉造川の清流を挟み、要害山、花仙山の二山を負って多くの人家が相連な
       り渓間の一小区をなしています。
      「出雲國風土記」意宇郡の条に「忌部神戸、郡家の正西廿一里二百六十歩。國造、神吉詞を奏し
       に朝廷に参向する時、御沐の忌玉作る、故に忌部という即ち川辺に出湯あり、出湯の在る所、
       海陸に亘り男女老少、或は道路に絡繹り、或はSI洲に郡集いて市を成し、繽紛燕会。一濯すれ
       ば形容端正、再濯すれば万病ことごとく除く。古より今に至るまで験を得ざることなし、故に
       俗人神湯といえり」と記されております。
       以上」
  住  所:島根県松江市玉湯町玉造508
  電話番号:
  ひとこと:このあたりは合併以前「八束郡」だったようです。
       出雲国造の神・ヤツカミズオミツと関係があるのかな……。
       
       さて、温泉の神をオオナムチとスクナヒコナとするのは、ここ玉造だけではありません。
       愛媛の道後温泉も、オオナムチとスクナヒコナが関係しているとしています。
       温泉を掘り当てるような職掌の人がいて、彼らが大小の神を尊崇していたとか、そういう話し
       があるのかもしれませんね。
       
       そしてこの神社は、「玉造を職掌とする人々の神社」でもあります。
       
       出雲において玉造といえば、やはり出雲石でしょうね。
       ただ、出雲国風土記では、意宇の郡条に
      「玉作山 氷役所の西南三十二里である《社(玉造湯社)がある》」
       と、あっさりあるばかりで、出雲石については書かれていません。
       
       玉作山とは、出雲石を産出する花仙山のことで、湯の山神社の御神体と思われる玉造要害山と
       は尾根でつながっているように見えます。
       玉作湯神社から見ると、北東。標高は200m足らず。
       
       玉造温泉駅から歩くとき、左側に見えていた山だと思うのですが、私が参拝した日はすごい積
       雪で、立ち止まって眺めてる心の余裕がござんせんでした(^^ゞ
       登った人のサイトを見ると「藪漕ぎの連続」とありますから、私の単独行は諦めます(´-ω-`)
       
       また、出雲石の勾玉がどこで出土しているのかと調べても、具体的な話しがないんです。
       2009年に、島根県立古代出雲歴史博物館で、「輝く出雲ブランド-古代出雲の玉作り-」とい
       う企画展が開催されており、その説明の中で、
      「出雲の玉作りは、弥生時代に全国でもいち早く開始され、古墳時代には出雲で作られた玉が列
       島各地に流通し、全国最大級の玉生産地となります。
       本企画展では、出雲の玉を古代の”出雲ブランド”と位置づけ、出雲で玉作りが始まった背景
       や、他地域との交流の中で発展していく様子を、生産や流通の観点から紹介するとともに、古
       代において隆盛した出雲の玉作りの変遷を探り、全国に与えた影響やその意義に迫ります。
       
       3.それは出雲から始まった 
       弥生時代の開始以降、列島に規格性のある朝鮮半島産の碧玉製玉類が大量に持ち込まれ、その
       影響により、山陰でも管玉製作が始まります。列島の各地域に拡散した玉作りの動向や、鉄器
       の普及による玉生産の転換を探ります。 
       
       4.出雲ブランド誕生
       弥生時代から古墳時代へと移行する中、北陸で管玉製作が拡大し、腕飾類など石製品の生産が
       開始され、全国的に流通するようになります。山陰では玉作り集落が出雲に集約し、古墳時代
       前期には花仙山産の碧玉・瑪瑙・水晶を素材とした勾玉生産が開始されます。これまで例をみ
       ない出雲ブランドの玉を紹介します。 
       
       5.全国に運ばれる出雲ブランド
       古墳時代中期以降、出雲の玉はそれまでの北陸の玉と入れ替わるように列島の各地域に流通し
       ます。また、畿内では出雲の玉生産を管理下に置こうとする動きもみられ、出雲の玉作りは次
       第に影響力を増していきます。やがて後期以降、出雲が全国最大級の玉生産地として生産体制
       を確立していく様子を解説します。 
       
       6.出雲玉作りの黄昏(たそがれ) 
       古墳時代の終焉とともに、勾玉・管玉製作は急速に衰退します。出雲でも勾玉・管玉をメイン
       とした玉作りは一旦終息しますが、律令体制が確立した奈良時代以降、同じ石材を用いた碁石
       状石製品の生産を開始します。謎の多い律令体制下での玉作りの様子と、文献にも記された玉
       の用途について探ります。 
       
       7.出雲ブランドの記憶 
       全国で唯一、弥生時代前期から古墳時代、奈良・平安時代にかけて玉を生産し、全国に供給し
       続けた出雲の玉作り。出雲にとって玉作りとは何だったのか。その意義や全国に与えた影響を
       探るとともに、江戸時代末に玉湯の地で復活した「めのう細工」を紹介し、古代から現在に受
       け継がれた玉作りを紹介します。
       
       とあります。
       
       気になる部分を抜粋して箇条書きにすると
       
       ・出雲の玉作りは、弥生時代に全国でもいち早く開始された
       ・全国で唯一、弥生時代前期から古墳時代、奈良・平安時代にかけて玉を生産した
       ・古墳時代には全国最大級の玉生産地となった
       ・管玉は朝鮮半島からの輸入品の影響
       ・古墳時代前期には花仙山産の碧玉・瑪瑙・水晶を素材とした勾玉生産が開始された
       ・古墳時代の終焉とともに、勾玉や管玉製作は衰退した
       
       となるでしょうか。
       
       つまり、多すぎて、どこで出土しているなんていう話が出て来ないのかもです。
       
       次に島根へ行くときは県立博物館に行き、企画展の図録がないか探そうかと思います。

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