祭 神:豊城入彦命 大己貴命 少彦名命 説 明:案内板を転載します。 「當社は延喜式内多舎にして、第十代崇神天皇の第一皇子にあたらせられる豊城入彦命を主祭神とし て仰ぎ奉り、相殿に大己貴命・少彦名命の神々を奉斎する社である。 新撰姓氏録右京皇別によれば、『孝徳天皇の御宇、天下旱魃し、河井涸絶せるに際し、豊城入彦命 の數世の御孫阿利眞公、高樋をつくりて、垂水基岡の水を長柄豊碕宮に通じ、御膳に供すれば、天 皇その功を賞し垂水公の姓を賜いて本社を掌らしめ給えり』とある。 これよりこの地方を垂水とよぶようになる。 山頂には彌生式住居址が數基埋蔵されていることからしても、垂水氏はそれ以前よりこの地に祖神 を祀り、御神徳を輝かしめ、一大勢力を保っていたと考えられる。 石激 垂水乃上乃左和良妣乃毛要出春爾成來鴨 いはばしる たるみのおかの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも 萬葉集 巻第八 春雑歌 志貴皇子 懽御歌一首 命 幸久吉 石流 垂水々乎 結飲都 いのちおし さきくよりけむ いはばしる たるみのみずを むすびてのみつ 萬葉集巻第七 雑歌 攝津作 讀人不明」 住 所:大阪府吹田市垂水町1‐24‐6 電話番号: ひとこと:このすぐそばに、「雉子畷」と呼ばれる地があります。 有名な、長柄橋の人柱に関する伝承地。 長柄橋架橋の際、工事が進まぬことに業を煮やした住民は、人柱を出すことにします。 「袴に継ぎ当てをしている人間が人柱になるのが良かろう」 と言い出した男性の袴に継ぎ当てが。 男性は長者の厳氏。 つまり厳氏は、暗に人柱志願したのです。 こうして無事橋が掛けられましたが、厳氏の娘は悲しみのあまり口を一切ききません。 美貌だったので妻に乞う男が次々現れて嫁ぎましたが、夫はものを話さず、笑顔を見せない娘に腹 を立て、実家に帰すことにしました。 連れだってこのあたりまで来たとき、雉が鳴きながら飛び出し、夫は弓で射ました。 それを見た娘は もの言わじ 父は長柄の人柱 雉も鳴かずば 撃たれざらまし と詠嘆したとか。 その後娘は、気長に娘の笑顔を待ってくれる夫に出会えたでしょうか。 雉も鳴かずば 人に知られじ と、微笑む日が来たのでしょうか。 なんにせよ、このあたりは長柄と「水」で結ばれていたようです。 長柄橋はここよりほぼ真南に6キロほど行った場所にあります。 垂水から南へ行くと、まず神崎川が流れ、さらに南へ下ると淀川に当たるのです。 難波宮跡はそこからさらに南へ6キロ。 人柱伝承と垂水氏になんの関係もないってことはなさそうです。 豊城入彦命は、大好きな垂仁天皇のお兄さん。 崇神天皇の後嗣を決める際、夢占いで、御諸山に登り、東に向かって槍や刀を振り回す夢を見た彼 は、東国へと派遣されます。 垂仁天皇が見たのは、御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢。 稲作の国の王にふさわしい夢です。 豊城入彦命は不本意だったでしょうか。 それとも「弟の方がふさわしい」と納得したのでしょうか。 いろいろと思索にふけってしまう神社です。