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都波岐神社・奈加等神社

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  祭  神:猿田彦大神 中筒之男命 天椹野命
  説  明:平成祭データから転載します
      「本社は延喜式内の古社で伊勢国一之宮である。本社はまた、雄略天皇二十三年に伊勢国造高雄東
       命が勅を奉じて創建し、中跡直廣幡が宣旨より初代の祭主となった。白河天皇より正一位の勅額
       を賜わり、花園天皇の正和年中に摂政藤原冬平の執奏により神伝記を天覧に供し、後小松天皇の
       嘉慶年中に征夷大将軍足利義満が富士登山の帰途当社に参詣して幣帛を供え社領を寄進した。
       織田信長が神戸、高岡の二城を攻略の際、本社は兵火に罹り社殿が消失した。その後、一柳監物
       の援助で社殿を復興し、明治三十六年に県社に昇格した。猿田彦大神を主祭神として奉斎、御神
       徳を慕って、全国から参拝者が絶えない」
  住  所:三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
  電話番号:
  ひとこと:都波岐神社は、伊勢国一の宮ともされる延喜式内の古社でもあります。
       伊雑宮と伊射波神社も同じ「いざわ」で、どちらが本家かわかりませんが、椿大社と都波岐神社
       も同じ「つばき」。
       つまり、伊勢の国にはそれだけ古い神社が多いということでしょう。
       
       初代宮司の中跡直廣幡から、代々子孫が神主を継ぎ、現在第五十八代だとか。
       さらに、弘法大師が獅子頭二口を奉納したなんて話もある。
       椿大社と比べると地味ではありますが、何か大切なものを守ってこられた神社だという空気がプ
       ンプンありますね。
       
       さて、神話によれば、大和が伊勢にでばってくるまで、伊勢を統べていたと考えられる神が二柱
       存在します。
       
       一柱が伊勢津彦。
       伊勢国風土記逸文によれば、神武天皇の命で訪れた天日別命に、伊勢の国を渡せと要求されるの
       ですが、「私はこの地にずっと住んでいたのだ」と断ります。
       しかし、天日別命が伊勢を攻めようとしたので、東へと移動することになりました。
       東へと去るとき、伊勢津彦は強い風を起こし、波にのって渡っていったと言います。
       
       そしてもう一柱がこの神社の祭神でもある猿田彦。
       記紀神話によれば、ニニギが地上に降臨する際、途中で待ち伏せして道案内した神とされます。
       そして無事に案内すると、ニニギに付き従っていたアメノウズメを妻として、五十鈴川に戻って
       くるのです。
       つまり、五十鈴川のあたりが猿田彦の本拠地ということでしょう。
       
       そして、伊勢に天照大神が祀られたとき……記紀神話では倭姫の時代とありますが、実際は、天
       武朝の時代でしょう……、伊勢の国を譲ったのは度会氏です。
       度会氏は、伊勢外宮の神職を代々務めてきたことでも知られていますよね。
       
       とすれば、度会氏の祖神は伊勢津彦か猿田彦だろう……と調べたら、なんと。
       一般に残っている系図では、天牟羅雲命……春日若宮とされているというじゃありませんか!!
       
       う~ん、ほんと、春日若宮ってなんなんでしょうね。

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