祭 神:八幡大神(応神天皇) 神功皇后(息長帯比売命) 比売大神(宗像三神 多紀理比売命 多紀都比売命 狭依比売命) 説 明:境内案内板を引用します 「今より千二百五十年前、桓武天皇の御代に八面大王という鬼賊が信濃国安安曇郡有明 村に住んでいた。 その身の大きさは十余尺もあって、その顔は見るも恐ろしいほど鬼面で近隣の村人に 危害を与へていた。 時の御帝桓武天皇は、坂上田村麿を召されて征伐するよう命ぜられた。そこで田村麿 は京都の岩清水八幡宮に二十一日間参篭して祈願をかけた。そこで、信濃国の国府の 里に八幡宮を祀れば賊平定は成就すると霊験があったのである。それで田村麿は石清 水八幡宮の御分神をはるばる信濃の国に奉持してこられ、只今の筑摩の地に八幡宮を 祀りました。 これが筑摩神社八幡宮の起因であります。」 住 所:長野県松本市筑摩2-6 電話番号: ひとこと:この神社の境内地には、飯塚と呼ばれる塚があり、八面大王の頭が埋まっていると伝 わっています。 彼はあまりに強かったため、決して蘇らぬよう、バラバラにされてしまったのですね。 エジプトのオシリスを思い出します。 現在の大王わさび農園には「大王神社」が建立されているほか、耳塚なども残ってお り、八面大王が、地元では大切に祀られてきたらしきことを忍ばせます。 実際、大王神社では、八面大王を「朝廷の横暴から安曇野を守った英雄」としていま す。 「勇気と優しさを秘めた安曇野の雄 魏石鬼八面大王 その昔、全国統一を目指した大和朝廷が、信濃の国を足がかりに東北侵略を進めてい ました。この地の住民達は、朝廷軍に沢山の貢ぎ物や、無理難題を押し付けられて大 変苦しんでいました。安曇野の里に住んでいた魏石鬼八面大王は、そんな住民を見る に見かねて立ち上がり、坂上田村麻呂の率いる群と戦い続けました。多勢を相手に引 けをとることなく戦った大王でしたが、山鳥の尾羽で作った矢にあたり、とうとう倒 れてしまいました。 大王があまりにも強かったため、息を吹き返すことを恐れた朝廷軍は、大王の体をい くつかの場所に分けて埋めました。胴体がうめられたという塚が農場の中にあったこ とから、この地は大王農場と名付けられ、その塚はのちに大王神社として祭られてい ます」 と。 神社の説明とだいぶ違うでしょ。 こういったことは、どの地方にもあります。 能勢の九頭龍もそうですよね。 先住民側から見た歴史と、朝廷(侵略者側)から見た歴史と、違って当然だけど、ど っちを信じるかは自由。 私は当然、先住民に肩入れするのです(笑)