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常神社

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常神半島と御神島(左側の島)

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常神半島と御神島(一番向こうに見えるのが御神島)

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御神島の竹林 ここに祠があるとのこと

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御神島(真ん中)と鳥辺島(左手前)

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間近で見る御神島

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御神島 別アングル

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御神島 海

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御神島の洞窟から常神を望む

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青の洞門(御神島)





  祭  神:神功皇后 
      (合祀)若狹彦神 若狹姫神 鵜鵜草葺不合尊 天照皇大神 柳原神 渡津松神 神留間神 三望大神 
  説  明:白水社『日本の神々』から一部引用します
      「(前略)『大日本地名辞書』は「敦賀常宮の神を祭る」とするが、信友は当社を本社として移
       し祀ったと述べている。また『西田村誌』は、早瀬湾で祭礼船が難破したため常宮に遥拝所を
       設けて常神まで参拝するのをやめ、以後本末転倒したとの経緯にふれている。
       現在、当社は村の入り口から約一キロ手前の常神浦字深山に鎮座するが、常神岬の西方に浮か
       ぶ御神島との間で再々社地を移転しており、信友は末社「外尊(トツマツ)明神」「島尊(シ
       ママツ)明神」を、それぞれの旧跡地に斎いこめたものとみる。遷宮についての記述は『神社
       明細帳』と『若狭郡県志』とで異なっているが、『神祇志料』は「常神社は旧御神島にありし
       を、後今常神浦の海岸の山麓に遷す、之を常神大明神と云ひ、また常大明神とも云ふ」と記し
       ている。信友は『郡県志』を支持して考証を進めているものと思われる。(中略)
       な、正月神事に際しては、朝とう役が十二月中に水垢離をとって身を清め、大歳の夜は当社に
       こもって初詣での準備を行い、早朝当屋宅で神事の座を開き、酒食のもてなしをしたあと浜宮
       で弓打ちをする。二日は花とう役が当社の境内にある薬師堂へ参り、そのあと後向きに歩きな
       がら堂浦の洞穴の前に御幣四十八本・櫛四十九本を刺し、酒とロクダ(ダンゴ)を供え、後ろ
       を見ないで帰ることになっている。狒々退治と人身御供の伝説にまつわる神事と伝えられる」
  住  所:福井県三方郡三方町常神10‐2
  電話番号:
  ひとこと:このそばには、縄文草創期から中期にかけての鳥浜貝塚があります。しかも常神半島に入るや、
       遊子、神子、常神……と、そそられる地名が続くわけですよ。
       人身御供の伝説とはどんなものか『日本の神々』に書かれていませんし、『若狭・越前の伝説』
       にも何も書かれていないのではっきりはわからないのですが、狒々神への人身御供が行われて
       いたのだとしたら、「神子」は、人身御供にされた人たちのことかもしれません。
       
       なんにせよ、『若狭・越前の伝説』や『日本の神々』を読む限り、このあたりも人身御供伝説
       が数多く残されているようです。
       三方郡にある闇見神社には、八俣大蛇退治の伝説もあるとか。
       
      『日本の神々』中、気比神宮の奥宮ともされる常宮神社の説明に、こんな文章があります。
      「ところで、若狭湾に突き出た常神半島の突端、三方郡三方町常神に式内社「常神社」が鎮座す
       る。創祀は不祥だが、寛和二年(986)半島の西に浮かぶ御神島に遷座し、天仁元年(1108)
       再び現社地に遷ったと伝え、祭神は神功皇后とされている(『若狭郡県志』『若狭国志』)。
      「常」の名をもつこの神社について『若狭国志』には、古くは常宮神社の神官が来て祭を行った
       とあるが、地理的環境からみて常神は、敦賀より西へ航行する船の重要な寄港地であったと考
       えられる。おそらく、その地に航海の安全を祈ったのが常神社であり、常宮神社の神官が祭を
       行ったという伝承は、両社が海路によって結ばれていたことを示すものであろう。
       (中略)
       なお、『大日本地名辞書』は「敦賀常宮の神を祭る」とするが、信友は当社を本社として移し
       祀ったと述べている。また『西田村誌』は、早瀬湾で祭礼船が難破したため常宮に遥拝所を設
       けて常神まで参拝するのをやめ、以後本末転倒したとの経緯にふれている」
       つまりは気比神宮の奥宮たる常宮神社と、ここ常神社には深い関わりがあったと。
       
       さらに、常宮神社は常神社の遥拝所であったという説を紹介してますね。
       
       ちなみに『若狭・越前の伝説』では、常宮神社の伝承として、
      「この神社では、元日の夜明け前になると、遥か沖の方から霊火がひとつ、波の上を統べるよう
       に近づいて来て、しばらく社前に海にただよったおんち、また戻っていく。竜宮から神に捧げ
       る竜燈だといわれている」
       とあり、「常」の神社は、海と深い関係があるのは間違いなさそうです。
       
       御神島へ渡るには、原則常神の民宿に一泊して、渡してもらうしかありません。
       密漁が多く、こうせねば防げないのだとか。
       海水浴客のごった返す夏を避け、9月に入ってから行ってきました。
       
       お世話になった「民宿 長松」のご夫婦は、「海と生きる人」を思わせます。
       無口な印象ですが、会話の中で何度も笑顔を見せてくださいました。
      「静かな笑顔」
       とでもいうんでしょうか。
       目尻にたくさんの皺を寄せ、言葉少なに返事をくださる感じ。
       
       おかみさんに、お正月の「花とう役」「朝とう役」について質問してみましたが、よくわから
       ないとのことでした。
       ただ、狒々退治の伝説が残るのは、御神島であるとのこと。
       ご主人によれば、島の竹林に古い祠があるとのことですが、岩場をよじ登ってみても、夏場は
       野茨に阻まれてそれ以上近づけませんでした。
       
       御神島を訪れた日は、秋雨の狭間の好天。
       海の色が本当に綺麗でしょ?
       後光のごとく、御神島から放射される雲も印象的でした。
       
       御神島は岩山で、装備なしに移動できる範囲はほんの少しですが、大きな洞窟があります。
       中はひっきりなしに雫が落ちていますが、気にせず横になると、眼に入るのは海と常神の島々
       と半島のみ。
       
       波のざわめきと、ブイが岩にぶつかる音だけが聞こえます。
       
       常神を少し南へ下ると三方五湖があり、縄文草創期からの遺蹟もある。
       つまり、一万年以上前から、この地は人々の暮らしを見つめてきたのでしょう。
       
       私たちは無窮の時間のほんの一片を生きる命しか持っていませんが、ここにいればそのすべて
       を手繰り寄せられそうに思えてきます。
       
       迎えに来てくださった長松のご主人に、
      「島を一周してもらえませんか?」
       とお願いすると、眼を細めて船を指さしてくださいました。
       
       角度によってまったく印象を変える御神島。
       それにしてもなんて綺麗な海の色!!!
       
       なんだかもう、それだけでいいやって感じ。
       
       常神の伝説について今回の旅ではほとんど見えませんでしたが、また行きますとも!!

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