祭 神:素戔嗚大神 氣比大神 忍熊王 説 明:ご由緒記を引用します。 「悠久の昔、当社の遥か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素戔嗚大神を祀り劔大神と称えられてきました。 第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を無事治めることができ たことを謝び、現在の地に社を建て、“劔大明神”と仰いできたことを社記は伝えています。 奈良時代より祈願の霊場として朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受け、現在所蔵する国 宝の梵鐘は第四十九代光仁天皇の御奉納といわれています。 武家の時代には平重盛公・朝倉氏を始め多くの武将の崇敬を集め、特に織田信長公は氏神と崇 めて、格別の信仰をもって神領を寄進し当社を保護しました。 江戸時代に末には伏見宮家の御祈願所と定められ、拝殿の御寄進をいただき厚い崇敬をうけて 今日に至っています。越前国二の宮として一の宮の氣比神宮と共に、県民はもとより県外の方 々の信仰も厚い神社です」 住 所:福井県丹生郡越前町尾田鐘栄山 電話番号:0778‐36‐0404 ひとこと:気比神宮のそばで、忍熊王の名前が出てくるとはちょっとびっくり。 忍熊王と言えば、応神天皇や神功皇后に反旗を翻した人物ですし、気比神宮といえば、応神天 皇と名前を交換した神の社。 つまりは、応神天皇の守護神ともいえる神になるんじゃないでしょうか。 そのそばで、応神天皇を殺そうとした忍熊王を祀る神社があるのはなぜでしょうね? ・実は神功皇后と応神天皇の流浪は、忍熊王を避けてのことではなかった ・忍熊王は別に神功皇后と応神天皇を害そうとしたわけじゃなく、自分の地に侵略してきた二 人を追っ払っただけ ・そもそも忍熊王は神功皇后と応神天皇を無視してた などなど(笑) いろいろ思いつきます。 そしてその神社を守る神官家の子孫に織田信長がいたことにも、なかなかの興味深さを感じま す。 彼は将軍・足利義昭を追放したことで知られていますよね。 将軍というのは、征夷大将軍の家柄のこと。 初代の征夷大将軍は坂上田村麿。 大和朝廷にまつろわぬ豪族を、あるときは騙し(田村麿は騙すつもりはなかったとも云います が)、あるときは討伐した人物です。 忍熊王が、まさに「まつろわぬ豪族」であったのなら、その神を祀る家柄の信長が、将軍を追 放したのは、ある意味「因縁」だったのかもね(笑)