祭 神:一之御殿:八幡大神(応神天皇) 二之御殿:比売大神(多岐津姫命、市杵島姫命、多紀理姫命) 三之御殿:神功皇后(息長帯姫命) 説 明:ご由緒書を引用します。 「宇佐神宮は全国八幡神社の総本宮である。 八幡さまとは応神天皇の御神霊で欽明天皇の三十二年に初めてこの宇佐の地に御示現になり 「われは誉田天皇広八幡麿呂なり。我名をば護国霊験威力神通大自在王菩薩と申す」と告げられ た。 そして、文化や産業を輸入して新しい国づくりを進められ、英明にして神徳も高く、皇室では 伊勢につぐ御先祖の神社として崇敬され、特に勅使の和氣清麿に国体を正す神教を授けたこと で有名である。もとより、この宇佐は神代に比売大神が天降られてから開けた処で、宇佐の国 造はこの神を祀った。また神武天皇の皇軍を迎えた聖地でもあったので、八幡さま比売大神、 及び神功皇后をまつる宇佐神宮が奈良朝の神亀年間に創立せられたのも当然のことである。 比売大神は後に宗像大社や、安芸の厳島神社にまつられ福徳愛敬、交通安全の守護神ちして崇 められ、また神功皇后は母神として宇佐にまつられ、神人交歓、安産、教育等の神徳も高くあ らわれた。 この三殿一徳の八幡宮の御神威は皇室だけでなく一般の人々にも鎮守の神として信仰された。 清和天皇のとき僧行教により貞観二年に平安京の鎮護として宇佐の御分霊を祀りて岩清水八幡 宮を創立し、源頼朝は鎌倉幕府の鎮守として鶴岡八幡宮をたてるというように全国に四万社あ まりの御分社が次々にまつられた。 また聖武天皇の勅願で、神宮寺弥勒寺を建てられたことにより、国東半島を中心とした六郷満 山の仏教発祥に多大な影響を与えた。 そもそも八幡信仰は、応神天皇の聖徳を称えただけでなく、海外の文化や信仰と昔からの神道 と仏教を融合したもので、神事、祭会や建造物、宝物にそのうるわしい姿を遺している。本殿 は国宝で八幡造りであるほか、その豪華な檜皮葺丹塗の各社殿は千古斧を入れない深緑の社に 映えている。」 住 所:大分県宇佐市南宇佐2859 電話番号:0978-37-0001 ひとこと:御本殿の改修中なので、写真がイマイチですが(^^ゞ 興味深いのは、もっとも立派な真ん中の祠が、二之御殿である、つまり、もっとも格式高く祀 られているのが、比売大神であることです。 他の御殿に比べると、二の御殿の屋根が高く、両脇には随神が睨みを利かせていました。 そのことから、比売大神とはどなたかという議論が、都度都度なされてきたようで。 一説では玉依姫とも言われるようです。 旦那曰く、「北九州で比売大神やったら、卑弥呼ちゃうか?」だそうですが、まぁそうかも(笑) 玉依姫とは魂を依りつかせる巫女にふさわしい名前ですしね。 大和朝廷が日本書紀を編纂する際、中国の三国志(魏志倭人伝)に登場する女王・卑弥呼を無 視するわけにいかず、神功皇后を創作したのだという説があります。 私はこの説にかなり賛成なのですが、それにしても、モデルはあったはず。 そこで、香椎あたりに伝わっていた母子信仰を利用し、神功皇后&応神天皇像を作り上げたの ではないかな~と思っているのですが。 旦那と私の考えが、もし仮に当たっていたとしたら、この神社は卑弥呼の社ということになる のかもしれません。 日本書紀編纂の後、大和朝廷はつじつまを合わせるため、卑弥呼(比売神)を祀る社に神功皇 后と応神天皇を合せ祀った。 しかし、さすがに卑弥呼を格下げするわけにいかず、「二の御殿」という名の、もっとも格式 高い祠に祀った……とかね(笑) ま、妄想です。 境内は広く静かで、のんびりしたい雰囲気の神社でした。 2014年冬の九州旅行で、一番天気が悪かったにも関わらず、一番良い印象を持った神社でした。