祭 神:宇和津彦命 味耜高彦根命 説 明:平成祭データから由緒を引用します。 「創祀年代は未詳。三代実録(延喜年間左大臣藤原時平らの編)に記載してある旧社で国史現在社に 属し一宮と称されていた。主祭神は宇和津彦神は(旧記によれば景行天皇の御子國乳別皇子)配神 に味耜高彦根神、大己貴神、三柱を祭祀ししている。味耜高彦根神は桓武天皇の御代延暦11年に 土佐(高知県)の高賀茂神社(現在の土佐神社)より奉遷。大己貴神は古来から山王宮と称えて境 内の別殿に奉祀してあったのを慶安元年に、本社に合祀奉った。皇室の崇敬厚く、光孝天皇の御代 仁和元年に神階を授与された。歴代の領主も鎮守の神と崇め、伊達氏の代には社参も行われて、宝 物、造営料、祭祀料を寄進され、毎年恒例、臨時の祈願も続いた。社殿は始め毛山村(丸穂村の古 名)美濃越に在ったが、建久年間に丸串城(現在の宇和島城)の南麓に遷し、寛永9年に現在の榊 森(古名玉串城)に奉遷された」 住 所:愛媛県宇和島市野川新13 電話番号: ひとこと:いわゆる延喜式外社です。 朝廷が編纂した「延喜式」には記載されていない……ということはつまり、祈年の祭りで朝廷から 供物が贈られていないということ。 でも当時には編纂されていた三代実録に名前がある。 これがなぜかはいろいろな理由があると思います。 朝廷からの奉幣があるほど大きくなかったとか、知られていなかったとか、あるいは何かしら敵対 関係にあったとか。 味耜高彦根神は高知に流罪となった一言主と混同されているところもありますから、それが理由か もしれません。 そばには鬼が城なんて場所もありますから、やっぱり強い氏族がいたのかなぁ。 水軍もありますしね。 ただ、地元に愛されている神社という印象でした。