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和気神社

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  祭  神:鐸石別命 弟彦王 佐波良命 伎波豆命 宿奈命 乎麻呂命 和気清麻呂公 和気広虫姫
  説  明:境内案内板を転載します。
      「御祭神は、鐸石別命・弟彦王命・和気清麻呂命・和気広虫姫命など、和気一族九祭神である。
       鐸石別命は垂仁天皇の皇子で、命の曾孫である弟彦王が、軍功により、この地に土着し、一族
       は備前・美作に栄えた。
       弟彦王の十二代の孫が清麻呂公・広虫姫姉弟であり、ともに朝廷に仕えた。
       清麻呂公は、奈良時代から平安時代の転換期に大きな役割をはたした人物で、なかでも道鏡事
       件・平安遷都などでの活躍は有名である。
       広虫姫は、戦乱による多くの孤児を養育し、その仁愛慈育の生涯は、女性の鏡と称えられた。
       当神社をはじめ、和気氏にまつわる史跡を訪ね、当時を思い起こしてみたいものである。
        和気ライオンズクラブ
        和気町観光協会」
  住  所:岡山県和気郡和気町藤野1385
  電話番号:
  ひとこと:和気神社に狛猪がいるのは、道鏡軍に追われた清麻呂公を猪が助けた故事にちなみます。
       平安京遷都を進言したので、京都にも、和気清麻呂を祀る護王神社があり、狛犬ではなく駒猪
       が鎮座していますね。
       
       それにしても和気清麻呂の出自がわからない。文官なのか武士なのか。
       岡山県和気あたりを本拠とし、その血脈は垂仁天皇由来とはされていますが、そこから清麻呂
       まで辿ることができません。
       垂仁天皇の皇子鐸石別命・その曾孫弟彦王、ここまではこの神社の古伝に残っているようです
       が、その先の十二代がスッポリ欠落している。
       国家存亡の危機を救った、彼ほど重要な人物としては例外的なことじゃないでしょうか。
       
       清麻呂公と並び、平安京遷都に大きな役割を果たした坂上田村麻呂も、謎の多い人物です。
       初代征夷大将軍なのですが、坂上田村麻呂の先祖を辿ると、東漢駒に行き当たるんです。
       東漢駒。崇峻天皇殺しの大罪人ですが、このあたりの歴史は、日本書紀編纂者の改ざんも入っ
       ているはず。逆に言えば改ざんできるものをしなかったとも。
       
       数々の朝敵を征し、平安京の礎を築いた英雄の祖に、日本史空前絶後の悪人を配したのは、な
       ぜでしょうか。
       
       今昔物語における武士は、殺生を生業とする罪深い存在とも描かれます。
       太平記でも「武士ごときが」と侮蔑する表現が散見されます。
       
       道鏡を貶めたと、称徳天皇から「キタナマロ」の名を賜った清麻呂も、なにかしら「高貴であ
       ってはならない理由」があるんじゃないかと、うっすら思うのですが。

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