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和霊神社

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  祭  神:山家公頼
  説  明:平成祭データから由緒を引用します。
      「祭神山家清兵衛公頼公は、仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が宇和島藩へ入城の際、家老職として伴は
       れた。当時打ち続く暴政のため、公は藩政の改革、産業の拡充、民生の安定に力を注ぎ、治績大い
       に挙がって、領民は公を生き神様と称えた。併し、一部藩士のために毒刃にかかって悲壮な最期を
       遂げられた。12年後の寛永9年、秀宗は公の英霊を慰めるため、城北森安の八面大荒神の社隅に
       児玉明神として鎮祭し、相殿に公の三子及び塩谷内匠父子3名の6霊も共に勧請された。慶安4年
       2月、城北桧皮森に社殿造営に着手し、承應2年5月竣工、同年6月24日奉幣使として京都平野
       社領神権少副従五位下猪熊兼古、平野佐兵衛の両名を迎えて遷宮祭を行った。爾来この日を例祭と
       定められ、(明治42年より新暦の7月22日、23日、24日に変更)社名を(山頼和霊神社)
       とした。初代宮司に三輪田右近(後に丹後守元正、老年は広正と称した)が任じられた。その後社
       地は向山、森安山と変り享保20年12月24日現鎮座地に遷座、明治6年郷社に列格、大正8年
       4月10日県社に昇格した。昭和20年7月28日夜、空襲により、山本神社、新馬舎を除いて社
       殿全部灰燼に帰した。昭和25年に拝殿、昭和26年に本殿を、同27年には透塀を新築竣工した。
       特に神社300周年にあたるため、大祭協賛会を組織して4月20日より26日までの1週間、神
       事並びに行事を執行した。同30年11月6日参籠所を、同32年2月5日に社務所同42年12
       月6日に神門翼廊、同44年3月19日境内末社竈神社をそれぞれ新築竣工し、その間境内の埋立
       整備工事を完了した。又、同44年7月23、24、25日は御祭神逝去350年式年大祭を斎行、
       記念事業として神山に杉桧苗3500本を植林、同年12月18日(旧霜月初卯)竈神社復興第1
       回例祭を執行、同日崇敬講社を設立し、爾後毎年4月24日を講社祭日に決定した。本社は昭和2
       8年12月24日神社本廳指定の別表神社に列した。」
  住  所:愛媛県宇和島市和霊町
  電話番号:
  ひとこと:領民に愛された家老が神として祀られている神社です。
       でももっと有名なのは、和霊大祭でしょう。
       いわゆる「うわじま牛鬼まつり」。
       
       巨大な獅子舞みたいに見える「牛鬼」が走り込む……。
       
       毎年7月22日、23日、24日に開催されるんですが、公式サイトをみても、どういう意味があるのか
       わかりません(笑)
       
       でも、この地域における牛鬼は、海の妖怪だったはず。
      「牛鬼」って呼ばれる妖怪は、あちこちにいるんですが、地域ごとに性格が違うんで、よくわからな
       いんですけどね。
       和歌山では山で仕事をしている人の影を舐める妖怪で、舐められた人は高熱を出して死ぬとか。
       山陰地方の牛鬼は磯女とタッグを組んでるし。
       でもここ宇和島の牛鬼はむしろ守り神的な存在のようです。例の如く「最初は悪い奴だったんだけ
       ど、改心して守り神になった」的な。
       
       あるいはもっと単純かもしれません。
       山家清兵衛公頼はいわば御霊です。
       無実の罪で殺された貴人。
       祟ったとしても、不思議はありません。
       
       それが牛鬼とつながった。
       
       そう考えるのが一番自然かもなぁ……と、街中に置かれている牛鬼関連のモチーフを見ながら、ふ
       と思いましたです。

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