祭 神:底津綿津見神 底津綿津見神 底津綿津見神 (配祀)大日孁貴尊 説 明:ご由緒書を転載します。 「今から千数百年の昔、神功皇后が三韓征伐を終えてお還りの時、暴風雨のため、どうしても 御座船を進めることができなくなりました。皇后が御みずから綿津見三神をお祭りになり、 御祈願されましたところ、たちまち風波がおさまり御無事に都へお還りになりました。その 時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社殿を建て、御神徳を仰いだのが鎮座 の由来であります。 御祭神綿津見三神は総称して綿津見大神とも申し、伊弉諾神が黄泉国からお還りになった時、 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて、身禊を行った時にお生まれになられた三柱の海神で あり、伊弉諾神のお子様で、天照皇大神・素戔嗚尊・住吉三神とは御兄弟にあたる神様であ ります。 綿津見大神の姉娘・豊玉姫尊は彦火々出見尊に嫁がれて、鸕鶿草葺不合尊をお生みになりま した。彦火々出見尊は山幸彦の別名であります。彦火々出見尊は兄の火闌尊(海幸彦)より 預かった釣り針を失って途方にくれ、海中の綿津見大神の宮を訪ねたとき、豊玉姫尊と結婚 されました。三年の後、彦火々出見尊がお帰りになる時、綿津見大神は釣り針と一緒に潮満 珠・潮干珠(満珠干珠)をお授けになりました。彦火々出見尊は満珠干珠の霊力によって水 をつかさどり、兄神の無理難題を退けられました。 綿津見大神の妹娘玉依姫は鸕鶿草葺不合尊に嫁がれて、神武天皇をお生みになりました。 この御神徳により、航海安全・漁業繁栄の神として仰がれることはいうまでもなく、身禊で お生まれになられた神である事から、災罪退徐・清祓の神として、さらに統治が海上陸上を 問わず、古代交通の要地であったことから、交通安全の神としても仰がれております。 又、豊玉姫尊が鸕鶿草葺不合尊をお産みになるとき、大変安産であったところから、安産祈 願の神でもあり、満珠干珠の霊力によって水をつかさどり、厄難を去る神であるところから、 水産業・農業をはじめ、水によって生活し、水によって生計をたてる人の守護神であり、開 運厄除の神でもあります。 海神社は別名、衣財田(えたからだ)大明神(又は衣財の神)とも言われております。この 名が示すとおり、漁業・農業・商売などすべての家業繁栄・家運隆昌。衣食住満足の神とし て広く崇敬されております」 住 所:兵庫県神戸市垂水区宮本町5番1号 電話番号:078-707-0188 ひとこと:日本書紀や古事記では、三韓凱旋の神功皇后が祀った海神は、住吉三神です。 でも実際は、とある女首長が遠征から帰ってきたとき、このあたりに海神を祀った史実があ ったのかもしれません。 なんにせよ、このあたりは神功皇后の神話が数多く、女首長が多かったのかな~……と、想 像あるいは妄想している次第です(笑)