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八代妙見神社

yashiromyouken




  祭  神:天御中主神 国常立尊
  説  明:境内案内板を転記します。
      「八代神社は、明治四年(1871)まで妙見遇と呼ばれ、文治二年(1186)に検校散位大江朝臣高房がこの地に創
       建したと伝えられています。
       祭神は、北極星と北斗七星を神格化した天御中主神と国常立尊です。
       南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元八年(1622)に社殿が、また、
       寛永十三年(1636)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。
       その後も元禄十二年(1699)と寛延二年(1749)に、城主松井氏によって修復がなされ、現在に至っています。
       社殿は、屋根は入母屋造、正面に千鳥破風があり、数多くのち密な彫刻が随所に施され、江戸時代中期から後
       期の社寺建築の特徴がよく表されています。
       11月22,23日の秋季例大祭である妙見祭は、九州を代表する都市祭禮で、『八代妙見祭の神幸行事』として、
       国の重要無形民俗文化財に指定されています」
      「妙見神は、聖なる北極星・北斗七星の象徴なり
       
       妙見神の来朝
       天武天皇白鳳九年(680)妙見神は、神変をもって、目深・手長・足早の三神に変じ、遣唐使の寄港地、明洞(寧波)
       の津より、「亀蛇(玄武)」に駕して、当国八千把村竹原の津に来朝せり。
       妙見宮(上宮)の創建
       桓武天皇、延暦十四年(795)乙亥、国司桧前(ひのくま)中納言政丸 三室山横嶽にこれを創建す。
       妙見中宮寺の創建
       二条天応、永暦元年(1160)庚辰三月十八日、従五位肥後守平貞能、横嶽の麓に建立す。
       妙見宮(下宮)の創建
       後鳥羽天皇、文治二年(1186)丙午十一月十八日、検校散位大江高房、妙見上宮を大田郷宮地の地に遷座せら
       る」
  住  所:熊本県八代市妙見町405
  電話番号:
  ひとこと:玄武といえば、四神のうち、北を守る神ですね。
       北を守るのが玄武、色は黒、季節は冬、姿は蛇の尻尾を持った亀。
       東を守るのは青龍、色は青、季節は春、姿は龍。
       南を守るのが朱雀。色は赤、季節は夏。姿は鳳凰に似た鳥。
       西を守るのが白虎。色は白、季節は秋、そして姿は白い虎。
       
       遣唐使とともに渡ってきたように読めるのですが、それなら普通に東を司る神の青龍に乗ってやってこなかっ
       たのか、不思議になりませんか?
       
       四神のうち、日本では龍ばかりがありがたがられている印象がありませんか?
       
       弥生博の学芸員をしていた友人に聞いたら、
      「中国から見て、日本は東側にあるからだという説がある」
       と言っていました。
       
       なんせ、「中華」ですもんね(笑)
       
       西にあたるモンゴルには虎を押し付けた形跡もあるそうです。
       
       なのになぜ玄武なんでしょうか?
       
       実際は玄武じゃないんじゃないの???
       
       もともとこの地には日本古来の星信仰があり、亀や蛇が神格化されていた。
       後世に中国から妙見信仰が輸入され、亀や蛇は玄武と目された。
       
       その方が自然な気がします。

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